エゼキエル書40章

40章 神殿の幻

おはようございます。神殿の幻です。捕囚帰還後造られて、ヘロデによって改築された第二神殿に次ぐ、第三神殿の幻というべきものです。神礼拝の大切さを覚えたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.新しい都の神殿の幻

エゼキエルの預言はついにクライマックスへと向かいます。かつて裁きによって失われた聖所が、主の契約に基づいて回復されることが約束され(32章以降)、これを妨げようとする敵対勢力、ゴグ・マゴグが裁かれ(38-39章)、主とその民の関係が永遠に揺ぎないものとなることが示されました。40章からは、その民に用意された新しい都にある神殿の幻が描かれています。「捕囚となって25年目の年の初め」つまりBC573年の1月、エゼキエルは、神の聖霊に導かれて非常に高い山の上に連れて行かれたと言います。そこでエゼキエルはひもと測り竿を持っている人と対話しています。

「普通の1キュビトに一手幅を足した長さ」(5節)は、俗に「長いキュビトの単位」と言われ、約52センチ、6キュビトの測り竿は、312センチ、約3メートルです。その測り竿で神殿の壁の厚さを測ると一竿、つまり約3メートル、高さも同じだと言います。その分厚い壁を通り抜けて外庭に出る門と通路があり、その通路の両側にはそれぞれ三つの控え室と(10節)玄関の間があります(16節)。おおよそのイメージで捉えるだけでよいのだと思いますが、これを3Dアニメーションで再現している方がいるので、ご紹ご介しておきます(https://bit.ly/33VO8re)。英語版ですが、なるほど、なるほどです。なお、神殿の外側を巡る壁には、他に北向きの門(20節)と南向きの門(24節)があります。

続いて外庭から内庭を隔てる壁があり、そこにある門も、南(28節)、東(32節)、北(35節)と三つあり、その通路の両側にもそれぞれ三つの控室がある、同じような構造となっています(28節)。そして、内庭で行われる犠牲の準備をする部屋とその道具の説明が続きます(38-43節)。そこからさらにエゼキエルは、内庭にある祭司たちの部屋に連れて行かれます(44-46節)。その部屋は北向きと南向きのものがあって、それぞれ職務内容によって区別されていました 。内庭の大きさは、「百キュビトの正方形」(47節)、神殿本堂の前には、祭壇があります。そこに上る階段は、70人訳では10段、本堂が高い位置にあるということでしょう。

3.神殿再建の意味

以上、40章を概観すると、神殿を取り囲む一番外の壁から外庭に入り、中庭に入り、そして神殿本体いわゆる本堂の入り口に立つ(49節)流れになりますが、これを、文字通りに解釈するのか、それとも、象徴的に解釈するのかが問題です。文字通りであれば、エゼキエルは、捕囚期終了後の、新しいエルサレム神殿の青写真を神に与えられたことになります。しかし、40章の冒頭で、すでに非常に高い山の上にそれが建てられていたと語られていること自体が、文字通りの解釈を躊躇わせます。では、象徴的に解釈して、終末の未来に行く場所の情景を描いているとするなら、当時の人々にも今の私たちにも「いいね!」で終わってしまうでしょう。実際、黙示録21:10-15の新天新地の幻にも、金の測り竿を持ったみ使いが出てまいりますが、そこで神殿は語られていません。主と子羊が都の神殿そのものだ、とされやがて来る神の国に神殿はないのです。

そこで大切なのは、このような計画を打ち明けられる神のご性質に思い至ることです。綿密に物事を考え、計画を錬っておられる神が、私たちと共にいる、と考えられること自体が大きな励ましです。さらに神殿の機能が、神礼拝にあることを覚えることです。神礼拝は、私たちにとって神の存在を証しするしるしです(20:12)。まずそこを何よりも大事にしよう、ということです。残る週も、礼拝に向けて整えられる歩みとしましょう。

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