50章 神を恐れ、神の時を待つ
おはようございます。バビロンに対する神のさばきのことば、注意すべきは、この世にあって働く神の意思を認めていくことです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.バビロンに対する宣告
46章からイスラエル周辺諸国への預言が続けられてきましたが、いよいよ大国のバビロンに対する預言です。51章までの2章にわたる長い預言となっています。かつて、イスラエルを打つ神の道具として用いられたバビロンが、今度は、打たれる側になるのです。しかも、どうしてこんな事態になったのか?「わたしがおまえに罠をかけ、お前は捕らえられた」(24節)。人ではない、主のご意志があったことが明確に示されています。なぜ神はそのようにしようとされたのか。「主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ」(29節)。神の支配という霊的な現実がある中でこれらが起こってきているのです。まずそこに注目すべきでしょう。
この預言は、しばしば後代のもの、つまりバビロン帝国末期(BC538年頃)に未知の預言者が、エレミヤ風に加筆したもの、と考えられるところがありました。しかし、それはエレミヤの預言的能力も、神がおられる霊的現実をも否定するものです。歴史は力ある人々によって築かれたものではなく、その背後にあって、これを正しく導かれるお方がおられることは、否定しえないところがあります。人間のあり様を評価し、これにご自分の意思をお伝えになる神がおられるのです。
2.まことの神を恐れる
しかし多くの人間は、そのように正しきことをなさる神を認めようとしません。むしろ自分に都合のよい神をでっちあげるものです。2節「ベル」は、バビロンの守護神、「メロダク」は、マルドゥクとも呼ばれる最高位にある神です。しかしその神々も、バビロンと運命を共にし、北からの敵によって滅ぼされる、と語られます。拝むべき方は、この世界をお創りになり、歴史を支配されるまことの神と言うべきでしょう。
当時のバビロンの勢いを考えた時に、誰が、その破滅を想像することができたでしょうか。しかし、神の裁きを妨げる者は誰もおりません。同じように、私たちの身近な事柄においても、一体どのようにしてこの勢いを逆転させることができるものか、と思うことがあるものでしょう。圧倒的な勢いに飲み込まれ、倒されてしまった自分の人生がどのように、逆回転するのか、救われるのか、と思うことはあるものです。しかし、神の意思されるところに、救いはあると言うべきでしょう(44節)。目には見えませんが、確かに生きて、正しいことを行われる神がおられるのです。そのお方が語っておられることに注意し、耳を傾けることが大切です。そしてまことの神に対する信仰をもって、自らが神に造られた者であるという謙虚さをもった歩みをすることです。たとえ不本意な境遇に置かれることがあっても、迷うことなく、静かに神の時を待ち、なすべきことをなさせていただく。これを今日の最善であると考えて歩ませていただきましょう。