ゼカリヤ書6章

6章 メシヤ預言

おはようございます。ゼカリヤ書と黙示録の関連を、色々と考えさせられる箇所です。預言書をメシヤ預言的に読む時に、今なお私たちの態度を改めるメッセージがあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.第八の幻

第8の幻は、四台の戦車です。第1の幻にも馬が四頭出てきました(1章)。第1の幻では、馬は谷底にあるミルトスの木の間に立っていました。彼らは、ペルシヤ帝国に平定された地を行き巡り、イスラエル回復の望みがないことを伝えていました。第8の幻は、戦車は、二つの青銅の山から、全地に出ていこうとしています。青銅は、不変性と力の象徴です。神の不変性と力を背景として現れたということでしょう。ですからこの四台の戦車は、それぞれ天の四方を駆け巡るものとして、神の使命を帯びて遣わされていきます。黒い馬は北、白い馬は西、斑毛の馬は南、とそれぞれの地に駆けて行くのです。

ここは、黙示録の解釈原則と同様、細かい象徴の意味をあれこれ考えるよりも、全体の印象で捉えるべきところでしょう。つまり、北の地へ出て行った馬は、神の霊を鎮める、とありますが、北は、バビロンを指していて、それは神の民を抑圧していた国バビロンのある地ですから、バビロンが討ち滅ぼされること、それに伴って中東に世界に神の御旨がなされたことを語っています。となると、第八の幻で、これまでの一連の幻を閉じる枠を作る、つまり第一の幻の繰り返しという程度の意味で理解するのが良いと思われます。実際、使徒ヨハネは黙示録の中に、これらのイメージを援用し、地に神の裁きが徹底的に行われることを語っています。地上に起こる事柄、戦争、災害、疫病のすべては、神のご支配の中で起こっていることなのです。

2.王の戴冠式

後半9節からは、捕囚の民が持ち帰った金銀を用いて冠を作り、大祭司ヨシュアの頭にかぶせるように命じています。しかし大祭司が、王冠をかぶらされることはありえません(2歴代誌26:16-21)。そこでこれは総督ゼルバベルの記述の誤り、あるいは大祭司が総督を兼ねた後の中間時代(ハスモン王朝時代)の状況に合わせて原文に加えられた修正、とする議論もあります。しかし誤記や修正と見るよりも、ヨハネが、この流れをなぞっているように、神のすべてのさばきの完了の後に起こる、メシヤの戴冠式について語る、メシヤ預言に関わる内容として理解すべきところでしょう。

実際12節は、直接的には捕囚後の神殿建設を語っていますが、それ以上の意味を伝えています。主の神殿を立て、王座に就くお方、つまり祭司であり、王である二つの職務の融合は、イエス・キリストにのみ許されたことだからです(ヘブル7:1-3)。となれば、ここも預言書の二重預言的性質があると心得、捕囚帰還のイスラエルの再建に重ねて、終末的希望を語る内容があり、ヨハネは黙示録にそのイメージを援用したと考えてよいのでしょう。

大切なのは、繰り返しとなりますが、これらが神の熱心さによって達成されることです。ゼカリヤは、歴史に積極的に働かれる神の存在を語ります。そして、私たちに「確かに聞き従う」ことが求められていると言います。まず聞くことから始めてまいりましょう。