8章 行いが信仰を否定する
おはようございます。神を信じているとは言いながら、その行いがその信仰を否定していることはあるものです。神のみおしえに聞き従う信仰は、生活を通して証しされるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.イスラエルに迫った危機
「角笛を口に当てよ」(1節)差し迫った危機を意味しています。新改訳第三版では「鷲のように敵は主の宮を襲う」と続いていましたが、2017では、「鷲のようなものが、主の宮の上にいる」と改訳されました。ん?よくわからない、と思い原文を見てみると、第三版は「敵は」と「襲う」を補って意訳したもので、2017は、ヘブル語の直訳であることがわかりました。言いたいことは、「あれ鷲かな!主の宮の上(襲ってくる、アブナイ!)」という感じです。イスラエルはまさに鷲の餌食にされようとしていましたが、なぜこんな事態になってしまったのか。それは、「彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえに背いたからだ」。つまりアッシリヤの野望によるのではなく、アッシリヤを用いてイスラエルを裁こうとしている、神の意思によるものだというわけです。問題は、イスラエルの民が、神を知っていると言いながら、それを否定した行動を取っていることでした(2節)。しかも、イスラエルは神に与えられた悔い改めの機会(善)すら退けてしまったと言うのです(3節)。
2.イスラエルが退けられた理由
そこで、どのように彼らは、自らの信仰を否定する歩みをしていたのか、その罪が具体的に語られていきます。先の7章では、王家にフォーカスが当てられていましたが、本章ではイスラエルの民を含めてその罪の諸相が語られています。まず彼らの否定的な行動は、神のみこころにかなった指導者を立てなかったことです(4節)。国が悪くなるのは、王の性質の問題ばかりか、そのような王を立てない国民の意思の問題でもあるのです。神は、「必ず、主が選ばれるものをあなたの上に王として立てなければならない。同胞でない異国人をあなたの上に立てることはできない」(申命17:15)と命じられました。その王は、勢力拡大、多くの妾、金銀に関心を示さず、まさに神を恐れ主のみ教えを読み、学び続ける人でなければなりませんでした。しかしイスラエルの民はそのような王を選ばなかったのです。さらに彼らは「自分の銀と金で自分のために偶像を造」り、第二戒を破りました。神は目に見えない霊であって、子牛ごときの形にできるようなものではないのです(6節)。まさにそのような行いは、神を否定するもの、「サマリアの子牛は粉々に砕かれる」と言うべきでしょう。
3.退けられた結果
結果、イスラエルは、もはや「だれにも喜ばれない器」となっていきます。器は何かの用途に使われるものでしょうが、全く神の民としても、世俗国家としても無用の長物と化してしまった、ということでしょう。愛を求めても返ってくるものはない孤独(10節)、そして、空しく自分の願望を満たす宗教への傾倒(11節)、それが報いであると言います。人生の的を外す結果がかくも虚しくなるものか、と思わされるところです。絶えず、神のみ教えに心を定めて、聞き従う歩みをさせていただきましょう。