●23章 訴訟法(法の公正さ),霊的な戒め(主に仕える)
1.正義心を大切にする(23:1-9)
まず23章は、訴訟で、正しい証言をするように勧めています(1-9節)。しかしこれが実は難しいことなのです。つまり、罪深い心を持った人間は、権力に屈して不当な証言をしたり、同情心から弱い者の味方になって甘い証言をしてしまうことがあります。裁判においては、何が正しいか、ということが大事にされなくてはなりません。ことに大切なのは、相手が自分にとってどうでもよいような人である時に、人は過ちを犯しがちです。貧しい人、弱い立場にある人、敵と思われるような人に対しては、ことにそうでしょう。4節。「あなたの敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、あなたは必ずそれを彼のところに連れ戻さなければならない。あなたを憎んでいる者のろばが、重い荷の下敷きになっているのを見た場合、それを見過ごしにせず、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない」。人は神の形に造られた者、神の正しさを誇りとして生きる者です。しかしその現実は、人は、圧力に屈しやすく、同情して弱い者を必要以上にかばったりする者です。人が自分自身の弱さをよくよく心得るなら、そのあり様はもっと違ったものになるはずです。大切なのは、いつも何が正しいことなのかを考え、正しい判断力をもって、物事に対処していくことでしょう。
2.宗教歴、祭儀的規定(23:10-19)
続く10-19節は、宗教的、祭儀的な規定です。つまり安息年(10、11節)、安息日(12、13節)と呼ばれるものの規定です。古代イスラエルには、七年に一度、七日に一度物事を休ませるという考え方がありました。土地も、そして人もそうなのです。それは「弱い者が息をつくためである」という目的のためです。土地に対しても、人に対しても、ぎりぎり搾りたてるようなことをしてはならない、それは、現代の日本でも同じではないでしょうか。コロナ禍でソーシャルディスタンスということが言われるようになり、それまで満員電車も仕方がないと我慢していたのが、あまり混雑しない電車に乗るようになってこれが快適だと悟るようになる。詰めるにいいだけ詰めて発車オーライ、電車のみならず、レストランのテーブルの間合いも、ゆとりを大事にしたいところです。
15節からは三大巡礼祭である、種を入れないパンの祭り(15節)、刈り入れの祭り(16節)、収穫祭(16節)の勧めです。祭りを行う、祭りを守る、そして祭りにおいて、手ぶらで神の前に出てはいけないと言われる。日本人であれば、年に一度、年末年始に際して、神社仏閣に出向く生活リズムがあるものです。それはもはや宗教として意識されて行われているよりは、土着の文化として身についてきたものでしょう。ですから、改めて、何のためにそのようにしているのかと言えば、なかなか自分自身にとっての必然性は思いつきにくいものがあるものです。しかし、イスラエル人は、その祭りは、「あなたがエジプトを出たからである」と出エジプトの出来事と結ぶ付けられて教えられているわけです。20章で学んだ十戒の前文をもう一度思い起こしていただきたいところですが、イスラエルの人々が守るべき祭り、そのほか行事は、皆、出エジプトになされた神のあわれみ、恵みの行為と結びつけられている、神あっての今の生活だから、年に3回は、神にご挨拶しましょう、そして手ぶらで出てはなりませんよ、となるのではないでしょうか。
3.神の祝福の約束(23:20-33)
そこで最後に20節から、神との関係に注目させられます。もし、あなたが神と共に生きようと決意し、神のことばに従って生きるなら、神は、あなたを守り、あなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろうと約束されます(20-23節)。また、25節あなたは生活の糧に困ることもなく、健康が守られると言います(24-26節)。そして、あなたの繁栄も間違いないと言います。家内安全、無病息災、商売繁盛、と言うような言葉が思い浮かびますが、聖書の神がこのようなご利益を約束してくださっているというのは面白いものです。しかしそれは、根本的に、神がイスラエルをエジプトの奴隷から選び救い出したという事実に基づくものです。神は、病める者、弱い者、虐げられた者を救い出して終わりではない、最期まで責任をもって救い出した者を支え祝されるという意図の現れでしょう。何を本当に、私たちのよりどころとするか、誤ることのない歩みをさせていただきたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「処女を誘惑して寝た場合、必ず自分の妻とし、花嫁料を払うとありますが、この花嫁料、いったいどのくらいの金額であったのでしょうか?」答えは、銀50シェケルでした(申命22:28-29)。どのくらいの貨幣価値なのか、具体的な数値に直すことは難しいことですが、たとえばヤコブのように、7年の労働をもってこれに代えたエピソードなどを見ると、相当の値段であったと考えられています。では、今日の聖書クイズを一つ。刈り入れの祭りは、別名七週の祭りと呼ばれます。では仮庵の祭りは、別名何と呼ばれるでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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