出エジプト記24章

24章 主との契約
1.主との契約(24:1-11)
ここで、イスラエルの社会秩序を定める法規的な内容は一旦終了、出エジプト記の著者は、荒野を出た、イスラエル人のその後に戻っています。19章で、イスラエルの民は、シナイ山のふもとに到着していました。その続きとして、舞台はシナイ山となっています。ここでイスラエルの民は、エジプトの滅びから自分たちを救い出してくださった神と、いよいよ対面するのです。そして、イスラエルの民は、天地創造の、唯一まことの神だけを自分たちの神と定めていく契約を交わすのです。
しばしば日本人は、宗教心はあるが信仰心はないと言われます。宗教心、つまり宗教的な態度は大事にするが、信仰心、何を信じるか、信じる対象を一つに定めることができない、と言うのです。確かに「八百万の神」ということばもあるように、日本人は、たくさんの神々を拝み何かを信じる心は大切だと考える多神教的な心を持っています。しかし、イスラエルの民は、拝むべき神は、主と呼ばれる唯一まことの神、ただお一人である、と信ずべき対象を一つに定めていくのです。そして彼らは言いました。3節「主の言われたことはすべて行います」
そして血の儀式が執り行われました。祭壇は主の臨在を象徴し、祭壇と民との上に半分ずつ注がれた血は、この契約によって主と民との間に成立した深い結びつきを象徴しました。つまり、それは神と家族的な血を分けた深い関係となることを意味する、あるいは、契約が破られるならば死んでも構わないというお互いの覚悟を示す、と理解されるものでした。ただこの血は全焼のささげ物と交わりのいけにえで流された血です。つまりそれは、罪の赦しというよりも献身や神と関係を喜ぶことを意味するいけにえでした。となれば、流された血の意味は、この契約に対する双方の献身や、喜びを示すところが中心であったのでしょう。そして契約は当事者同士の確固たる意志によって結ばれるものですから、献身や喜びを示すのは、人だけではない、神もまた同じであった、ということです。神も確固たる意志をもち、喜びをもって、この契約を交わされた、そして、この契約が破られないように、神も命を注ぎだす決意表明をした、ということなのです。この血の契約の考え方は、後のイエス・キリストによる十字架の死、十字架上で血を流しながら結ばれた新しい契約に通じるものがあります。イエスの十字架の血による契約は、永遠の罪の赦しと永遠の神の愛と祝福を約束するものであり、そこに、神の決意表明もあった、ということです。
さてモーセは、アロンとその二人の子ナダブとアビブおよびイスラエルの長老70人とともに、再び山に登りました。彼らはイスラエルの神を仰ぎ見たと言います。目に見ることのできない神を見た、その情景は、御足の下にサファイヤの敷石のようなものがあり、透き通っていて大空そのもののようであった(10節)、と言います。これは、まさに黙示録でヨハネが目撃した天上の神の御座の様子にほかなりません(黙示録4章)。まるで浦島太郎が竜宮所を訪れるようなお話にも思えますが、著者が言いたいことは、彼らは確かに神がおられるところに引き上げられ、イスラエルを代表して、対面で契約を交わしたということでしょう。しかも彼らは神を見ながら飲み食いをしたと言います。すべて当時の契約の手続き通りに行われたというわけです。
2.神とモーセの時(24:12-18)
さてモーセが一人、神に招かれて神の山へと昇っていきます。モーセが山に登ると、雲が山を覆いました。こうして彼は四十日四十夜、山にいて、幕屋建設に関する細かい指示を得ています。幕屋は、神が住まわれる場所で、イスラエルの民と神が会見される場所です。神はご自身の像を造ることはお許しになりませんでしたが、ご自身がおられる場所を象徴的に示す場所を作ることを許されました。今日、それは教会と呼ぶべきものです。教会で私たちは、神とお会いする。毎週、神にお会いする場として教会を神がお定めになった。そこに集まりあうのは、牧師であり、兄弟姉妹と呼ばれる信徒であるわけですが、大事なことは、そこで神とお会いするという心をしっかりと持つことでしょう。今週も残る週、神にお会いするために教会へ行くのだという心をしっかりと整えてまいりたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「刈り入れの祭りは、別名七週の祭りと呼ばれます。では仮庵の祭りは、別名何と呼ばれるでしょうか?」答えは、収穫祭でした。刈り入れの祭りは、小麦の収穫を祝うもので、大麦の初穂奉献から7週間後に行われたので七週の祭とも呼ばれました(出エジプト23:16)。他方、仮庵の祭りは、収穫祭とも呼ばれ、収穫の完了を意味する一年最後の祭りです。では、今日の聖書クイズを一つ。神がおられる天上の御座の光景は、しばしばサファイアの敷石にたとえられますが、そのほかどんなことばにたとえられているでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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