出エジプト記25章

25章 献げ物のすすめ.幕屋の調度類作成上の規定3
1.幕屋建設のための材料をお献げする(25:1-8)
 イスラエルの民は、天地創造の、唯一まことの神のみを信じ、その神と共に生きる約束を交わしました。その具体的な行動として、まず彼らは、神を礼拝するための聖所を設けていくのです。神の居場所を、自分の生活の中に設けるということでしょう。「(イスラエルの民が)聖所を造るなら、神が彼らの中に住む(8節)」と約束してくださったことを信じて、そうするわけです。キリスト教信仰を持って、何が変わるかと言えば、まず、その人の日常の生活の中に、天地創造の、唯一まことの神のための居場所を設けることでしょう。具体的に、毎週日曜日は、神の招きを受けて、神を礼拝するために教会へ行くという新しい生活スタイルが起こってくる。また「神あってのものだね」と日々、神を仰ぐ時間というものが、日常生活の中に起こってくる。つまり、独身時代の人生から、伴侶を迎えた人生へ変わるような変化が起こってくるわけです。私たちの人生の祝福を左右する神を信じ、受け入れたというのに、その方を全く考慮に入れない人生というのは、もはやあり得ないのです。
そこで、イスラエルの民は、まず、神を自分たちの中心に据える象徴である聖所をどのように造るのか、具体的な指示を受けるのです。最初に彼らは、幕屋を造るために材料を調達するように命じられています(2節)。それは強制ではなく、自発的に献げられるものでした(2コリント9:7)。そしてどうでもよい余り物ではなく、最上のものを献げるというものでした。私は思うのですが、やはり教会というのは、その教会に集っている人の神信仰というものが、ありのままに表れているものです。神をどれだけ尊んでいるか、その建物の作り、メンテナンス状況を見ればよくわかります。ここは神がおられる場所、神が私たちを祝福するために、私たちとお会いしてくださる場所、そのような信仰があるのなら、自然に、教会をそれらしく整えていく、という気持ちと行動は起こるはずなのです。どこか教会に対して思いのない信仰というのは、考え直す必要があるかもしれません。神を神として認めていない、ご都合主義、あるいはファッション的な信仰がそこにあるのかもしれないのです。
2.調度類を作る純金1タラント(25:9-40)
続いて10節からは、幕屋に置く備品類、アカシヤ材の箱、机、純金の燭台について、細かな指示がなされています。アカシヤ材の箱は、契約の板を入れるもので、神のみことばと臨在の象徴です。また、アカシヤ材の机は、備えのパンを載せるもの。つまり、神が私たちにあらゆるものを備えられるお方であることを覚える象徴です(マタイ6:11)。さらに燭台は、「神が光である」(マタイ5:14-16)ことを象徴するものです。これらは、すべてイスラエルがその歴史において経験してきたことの象徴です。つまり、エジプトの奴隷であった頃、闇の世においてイスラエルの民は神に光を見出しました(燭台)。またそれは、異邦人への光であるというイスラエルの役目も象徴しています(イザヤ60:3)。そして、彼らはまた荒野の40年の旅を通して、マナを備え養われる神を経験してきました(アカシヤ材の机)。そして何よりも、いつも共におられる神を教えられてきたのです(アカシヤ材の箱)。神の光と支え、そして臨在を具体的な形として覚える工夫がなされたのです。
しかも39節、これらを純金1タラントで作るべきことが勧められます。新約聖書には、イエスがタラントのたとえを語っているところがあります(マタイ25:14-30)。それは、人間がそれぞれに与えられている異なる才能や能力を神の働きのために活用すべきことを語っています。タラントは明らかに、人によって差があるものでしょう。しかし、タラントが少なく与えられたものに象徴されるタラントの量は1タラントです。そして1タラント与えられた者は、こんなもので何の商売ができようか、とそれと使わず、放置したため、最終的にその1タラントも取り上げられるという事態が語られています。ここで、神の幕屋の重要備品にと指定された金の量は1タラントです。ふんだんにという発想はありません。私たちは、価値あるものには相当お金を継ぎ込むことを考えるものですが、神はそうではありません。というのも形はあくまでも象徴です。それ自体が重要なのではなく、それを通して、しっかり神を仰ぎ、神に近づき、神に憩うことが重要なのです。豪華絢爛な教会堂ではなく、神を覚え、神を生活の中心に置くために健全に機能する教会堂、そのために、お金ではなく心が使われる、そこを大事にしたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「神がおられる天上の御座の光景は、しばしばサファイアの敷石にたとえられますが、そのほかどんなことばにたとえられているでしょうか?」答えは、水晶に似た、ガラスの海(黙示録4:6)でした。では、今日の聖書クイズを一つ。ここで言うアカシアは、日本に生息するアカシアと同じでしょうか?違うでしょうか?どちらでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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