申命記1章 モーセの最初の説教(1)
本日より申命記に入ります。申命記は、いわばモーセの説教集です。それは、かつての出エジプトという大きな神の御業を知らない新しい世代に向けて語られたもので、神の「みおしえの確認」でした。モーセは自分が約束の地、カナンに入ることができないことを知っていたので(民数記20:12、申命記1:37)、古い世代と共に受けた、神のみおしえを新しい世代に伝えたかったわけです。そのようなわけで、申命記は、モーセの第一説教(1:6-4:40、)第二説教(4:44-26:19)、第三説教(27:1-28:68)、第四説教(29:1-30:20)、そして告別説教(31:1-33:29)と、五つの説教からなっているのです。
1.祝福された民(1:1-5)
4節、アモリ人の王シホン、バシャンの王オグを打ち破った後のこと、とあります。民数記ではちょうど21章にあたる内容です。民数記ではこの後に、バラクとバラムのエピソードが出てきます。つまりモアブの王バラクがイスラエルを呪いにかけて滅ぼそうとしたエピソードです。そんなことが陰で行われているなど、イスラエルはつゆ知らず、モアブの野に集まって神のみおしえと祝福のことばを確認しているわけです(11節)。何か不思議なものを感じます。たとえイスラエルを滅ぼすことに全力を傾ける者がいたとしても、神のイスラエルに対する計画は、何の妨げもなく、粛々と進んでいく。神を信じる者の人生はそのようなものでしょう。
さて、モーセの第一の説教は、これまでの回想です。しかしそれは、後ろ向きな回想ではなく、前進のための回想です。前に進み、応用問題を解くために、これまでの学びを振り返るようなものです。
2.不信仰の民(1:6-8、19-46)
そこで彼らが思い起こさなければならなかったことは、エジプトから解放されたイスラエル人が、なぜ荒野に留まり続けていたのかということです。本来2週間で行ける道のりを、なぜ38年もかけなくてはならなかったのか。それは、ただ不信仰のためでした。神は21節「上れ、占領せよ、恐れてはならない。おののいてはならない」と言われたのに、彼らは、26節、「上って行こうとはせず、神、主の命令に逆らった」のです。彼らは不平を漏らし、また神が占領せよと言った地にいる敵を恐れました。こうして彼らは、長い期間カデシュ、荒野に住み着くようになってしまったのです。彼らに求められたことは、神の存在を認め、神の素晴らしい業と神の愛の御性質を信頼し、未知の世界に踏み出す勇気を持つことでした。まさに信仰をもって踏み出すことでした。今日、すべてのキリスト者に求められているのも同じことです。口から不平不満が出そうになるときにこそ、また心に恐れが沸き起こり、だめだと思うような時にこそ、「上れ、占領せよ、恐れてはならない。おののいてはならない」という言葉に立つことが信仰であると心得たいものです。
3.弱められたモーセ(1:9-18)
1章の全体の趣旨はそういうことです。ところが、9-18節、何か挿入的なエピソードが加えられている、と皆さんは思いませんか。文脈は、古い世代は不信仰だった、だから荒野を彷徨った、新しい世代のあなたがたはそうであってはならないと言うものです。ところが、9-18節はその趣旨に添わない、脱線的な内容です。しかし、ここは、信仰のもう一つの側面を教えている部分でしょう。ここでモーセは、出エジプト18:13-26の場面を回想しています。あの時、モーセは、大勢の民を治め裁くことに疲れ果ていて、神の働きを担うことができないと弱められていました(9節)。数えきれないほど多くの民を治めるためには、「知恵があり、判断力があり経験に富む人たち」の助けが必要だったのです。そもそも、アブラハムへの神の偉大な約束が実現していくためには、さばきつかさの任命や軍隊、官僚の組織化など(16節)具体的なプロセスを通らねばならなかったのです。そのような意味で、この挿入的な部分は、信仰生活というものは、ただ神の力にあやかるというものではなくて、実際的、現実的な営みだ、ということです。神に信頼しながら、自分自身でなせることをなす、計画して実行すべきことはそうする、信仰と勤勉さは表裏一体なのです。スマイルズと言う人は、「自助論」という本の中で「天は自ら助くる者を助く」と言いました。スマイルズは自助の精神の尊さを語ったのですが、信仰も同じです。自らの怠惰を反省し、安楽さを否定し、しっかり地に足をつけた努力を重んじる。そこに、思う以上の神の恵みの力も豊かに働く、と信じて前に進んでいく。これが信仰の歩みでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ヨベルの年には、三つのことが守られることが教えられました。第一に畑の休耕、第二に、売却されていた土地を売主に復帰すること、そして第三に何でしょうか?答えは、全住民の解放の宣言です。奴隷が解放され、貧困で身売りをした人々は、正式に雇用されました。では今日のクイズを一つ、イスラエルが長く留まったカデシュですが、その昔その地は何と呼ばれていたでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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