申命記2章 立ち上がって出発せよ

申命記2章:北に向かうイスラエル
1.北の方へ向きをかえよ(2:1-3)
1節「葦の海の道を荒野に向かって」というのは、シナイ半島をスエズ湾に沿って南下する道を指すのでしょう。カデシュ・バルネアで不信の罪を犯して、結局イスラエルは、約束の地とは逆方向に進み、その後、「長らく」おそらく約38年もの間セイル山の周りを右往左往していたと考えられます(3節)。実際には、セイル山に住むエドム人との衝突を避けて、その山地の南西側を行きつ戻りつしていたのでしょう。そのように長らく放浪と混迷を続けていたイスラエルの民に、神は「北の方に向きを変えよ」と命じられるのです。本来行くべき目的地に進路を定めよ、ということです。
聖書が語る罪とは何か?多くの人はそれを犯罪と置き換えて考えるところがあります。しかし、それは一面です。もっと本質的なことは、的外れな人生を生きていくこと、本当はこうあらねばならぬのではないか、と思いながらも、ごまかしながら、やり過ごしていくことではないでしょうか。子どもとの関係において、夫や妻との関係において、職場の同僚との関係において、あるいは自分の人生の方向性について、本当は、と思うべきところをごまかし続けていく。そして、40年、気づいてみれば、もはや修復できない何かに直面してしまう。そして考える。あの時こうしていれば、もっとこのように関わっていれば、などと。大切なのは、聖書はそれが人間の現実、罪と言うべきもの。的外れな生き方というもの。けれどもその現実に気づいたら、「北の方へ向きを変えよ」本来こうあるべきだったという方向へ向きを変えて、歩み出せ。40年経ったって遅くはないのだ、ということでしょう。えーっと思ったとしても、人間、最期をどう飾るかで人生は決まるのです。
2.エドム、モアブ、アンモン通過(2:4-23)
4節以降、神は、エサウの子孫(エドム)(4-8節)とロトの子孫(モアブとアモン)(9-21節)に対する配慮を示されています。神がおられるとしたら、そのお方は万人の神で、イスラエルだけの神であるはずがありません。神は万人に、その時代においてその住まうところを定めておられ、それぞれに配慮を示しておられる公正な神なのです。
セイル山岳地帯はエサウの子孫に与えられていました(5節)。だから神は、エドム人との争いを避け、水や食料もお金で買って得るようにと命じられます。この主の命令に従って、モーセはエドム人と折衝を繰り返しましたが、彼らは領土内の通過を断固として許さず(民20章)、結局、イスラエルはモアブへの道を進んで行くのです(8節)。そしてモアブ人やアンモン人もまた神によって定められた所有地を与えられているのだから、争ってはならないと命じられています。
3.ヘシュボンの占領(2:24-37)
こうして神がイスラエルに与えられない地の境界が明らかにされた後、神は、モアブ人とエモリ人の間の国境となっていた「アルノン川を渡れ」と命じ、ヘシュボンの王シホンと闘い、その国を攻め取るようにと命じられます。この戦いは、「天下のあらゆる民に」(25)、特にこれから渡って行こうとしている国々の民に恐れを生じさせるための戦いであると言います。
 注目すべきは、「立ち上がれ」「出発せよ」「渡れ」「見よ」「占領し始めよ」「戦いを交えよ」と繰り返される神の命令でしょう。それは、私たちへの励ましでもあります。40年かけてできてしまった亀裂、後戻りできない過去、修復できない現状、どうするこうするもありません。ただ、立ち上がって、本来あるべき方向へ向かって一歩、そして一歩と踏み出すのみです。腹をくくって、やり直そう、と思い、腰を上げるか否かです。そして、その戦いは、一人の戦いではない。この40年、神の手を振りほどいて、的外れな方向へ突っ走ってきた罪人を、諦めず、見守り、欠けのないように配慮してくださっていた神と共に歩みだす、あるいは共に戦う戦いです。自らの無力無能を認めて、素直に、神のことばを受けて、一歩踏み出す今日この日でありたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イスラエルが長く留まったカデシュですが、その昔その地は何と呼ばれていたでしょうか?答えは、エン・ミシュパテ(「さばきの泉」という意味)でした(創世記14:7)。では今日のクイズを一つ、約束の地に向かって、ヨルダン川東側の道を進んだイスラエル人が最初に渡った川は、ゼレデ川、アルノン川どちらでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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