1列王記14章 イスラエルとユダの最初の王
<要約>
おはようございます。私が最近考えていることは、神が私たちの状況に何もしてくださらない、というのではなく、神の偉大なご計画に対する忍耐を失ってはならない、ということです。そのような意味で、神がおられることは確かであり、神が私たちのために善をなそうとしておられること、その機会を待っておられることを信じることはよいことです。それでは、今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ヤロブアムの子の病
北イスラエルの王ヤロブアムの子が病気になった。ヤロブアムは、主の預言者アヒヤに子どもの病気について助言を得ようとした。ヤロブアムはイスラエルに多くの異教の神々を持ち込んだが、結局、それらが助けとなることはなかった。窮地にあってそれらは、彼に何も語らなかったのである。最終的に彼は、万物の主、天地創造の神へと戻っていく。そこで彼は、妻に変装をさせて、預言者の助言を得ようとした。おそらく、その方が、本当のことを話してもらえる、と思ったのだろうし、また、万が一王の妻と知られ、後継者が病にあることがわかったのなら、謀反が起こりかねない可能性に注意したのだろう。
しかし、神の前に変装は通用しない。実際、アヒヤは年をとって視力も弱っていて、変装しようとしまいとヤロブアムの妻とはわからない状況にあった。また、彼女が持参した贈り物は、彼女の身分を匂わすものであったが、アヒヤは、彼女がその贈り物を出す前に、神によって、ヤロブアムの妻が訪れることを伝えられている。
2.アヒヤの宣告
アヒヤは、彼女の訪問を受け入れ、神の言葉を伝えた。語られたことは、厳しいことばであった。それは、息子に対する善いニュースと、ヤロブアムの家に対する悪いニュースの二つである。息子はヤロブアムの家でただ一人神のみこころにかなった者であるという(13節)。だから神はその息子がヤロブアムの悪の巣窟のような家庭で育つことを許さないばかりか、ヤロブアムの家庭の中でただ一人墓に葬られる人となることを告げる。そして、ヤロブアムの家族は誰一人墓に葬られることもなく、絶ち滅ぼされることが告げられる。それは、確かにやがて成就するものとなった(1列王15:25-30)
ヤロブアムの悪は、9節、異教を導入し、まことの神を捨て去ったことにある。そして彼が、選んだ神々は、彼の窮地を救うことができなかったのである。
3.ユダのレハブアム
またソロモンの後、ユダ王国では、レハブアムの時代となっていた。ユダ王国は、神に対する不信仰の故に力を失っていた。この時代にパレスチナに遠征し、パレスチナを征服した第22王朝エジプト王のシシャクの記録は、テーベのアモン神殿に彫刻されて、その史実性に間違いはない。彼は、ガザ、アラド、アヤロン、ベテ・ホロン、ギブオン、ティルザ、ベテ・シャン、タアナク、メギドなどパレスチナを縦横に占領し、まず南のユダ王国に圧勝し、エルサレムにまで迫っていた。ユダの王レハブアムは、エルサレム神殿の財宝のほとんどをシシャクに明け渡すことでエルサレムの破壊を免れている。シシャクは北のイスラエル王国にも勝利を収め、ギルアデにまで遠征、イスラエルの王ヤロブアムを追いつめている。ソロモン王国の繁栄は跡形もないほど蹂躙され、ほぼ壊滅状態になった、ということだ。ソロモン王は、知恵者と言われるが、彼が本当に知恵ある人間であったなら、自分の代で、王国を滅ぼすようなことはしなかっただろう。彼の知恵はやはり与えられたものに過ぎない、彼が知恵を与えられた方に敬意を示さなかったことが結局、このようになった、ということを理解させられるところである。
私たちは、全てを備え、全てを導かれる神の前に謙虚に歩まなければならない。神のみこころに生きる緊張感を保ち続けたいところである。いつでも神に心を向け、レハブアムのように形ばかりのクリスチャンではなく、またクリスチャンぶるのでもなく、あるいはヤロブアムのように困った時に神の元に駆け込むような者でもなく、いつでも真に神と共に歩み、豊かな実を結びつつ歩ませていただこう。