2列王記11章

11章 救い出されたヨアシュ
<要約>
おはようございます。かつてユダ南王国には、神の民の国としてのアイデンティティを取り戻すための戦いがありました。それは象徴的です。キリスト教会においても、キリストを頭とする教会のアイデンティティを取り戻すための戦いを生き抜く時代というものがあるのかもしれません。真に福音に生きようと願う者が集められ、結束し、7年の歳月を、忍耐を持って共に労する、そのような時代があるということです。主の御声に聞き従いたいところでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.アタルヤの政権、メシヤ預言の危機
ヨシャファテ以降、ユダ南王国には、悪王が続いた、ヨラム、アハズヤそして、アハズヤの母アタルヤがそうである。アタルヤは、アハブとイゼベルの娘である。彼女は、エフーの反バアル主義の影響がユダ南王国にもおよび、自らの身に危険が迫ることを危惧したのだろう。アハズヤと自分の子が死ぬや否や、王の子を皆殺しにし、自ら王権を握った。こうして約13年、南ユダにはバアル礼拝がはびこることになる。それは霊的には非常に暗い時代であっただけではなく、ダビデの子孫に対する粛清に次ぐ粛清によって、ダビデ家の存続が脅かされ、いわゆる神のご計画であるメシヤ預言の成就すら危機に瀕した時代である。
しかしながら、同じヨラム王の娘でアハズヤの異母姉妹、エホシェバが皆殺しにされそうになった王子の一人ヨアシュを助け出し、6年間神殿に付属する小部屋で養い育てるのである。エホシェバは、祭司エホヤダの妻であり、時代が悪に傾く状況の中で、主に忠実に歩み、ユダが本来の信仰に立ち返ることを祈り求めていたようである。そして、神殿は、アタルヤの目を逃れる恰好の場所となり、危機に瀕したメシヤ預言も守られていく。
サタンの願うところは、メシヤが現れないことであり、また、メシヤがその使命を完成しえないことである。サタンは、単に、ここかしこに小さな悪さをするような存在ではない。むしろ、神の救いの目的を阻止しようと働く。だから、イエス・キリストがダビデの子孫として誕生することを阻止し、さらにイエスが誕生してからは、荒野やゲッセマネの園で誘惑の限りを尽くし、その使命を果たし得ぬように妨害した。
2.悪魔の働き
この世には、そのような存在があることを覚えておく必要はあるだろう。パウロは言う。「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(6:11,12)サタンや、悪魔という存在がいるのか、と思うところもあるかもしれないが、聖書の著者たちは、そのような存在を意識しているし、イエスご自身「主よ、我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ」という祈りを教えられた。
3.ヨアシュの即位、7年の計画
アタルヤの第七年に、祭司エホヤダは、隠されていた王子ヨアシュを王にするための行動を開始した。こうした行動が守られたのも、ユダの近衛兵の隊長たちや一般の民の中にも神への恐れがあったからだろう。隊長たちは、主との誓いが王への忠誠に勝ることを覚えて行動した。実に気の長い、忍耐のいる計画を彼らは実行したものである。彼らはただ単位現政権に対するクーデターを考えたのではなく、7年の歳月を重ねて、イスラエルを神の民として回復させる戦いを戦い抜いたのである。
そのような意味で、私たちも神の民として、教会がその霊性を深め、この世の社会に対して、世の光、地の塩として完成されていくように、結束して時間をかけて戦う者である。しかしながら、かつて神の民であるはずのユダ南王国がそのアイデンティティを取り戻すための7年の戦いがあったように、現代のキリスト教会は、キリストを頭とするキリストの教会としてのアイデンティティを取り戻さなければならない時代にあるのかもしれない。つまり、真にいのちあるキリストの福音に生きようとする者が集められ、結束するべき時代に、私たちはあるのかもしれない。ただ、それを成し遂げてくださるのは、神である。私たちは願い従うが、それが形となっていくように守り導いてくださる神がいる。神がご自身の救いの計画を完成されるように働かれる。
だから、神のご計画を思い、従う人生がある。いつでも考えることは目先の自分の計画、どのような仕事について、どのような家に住み、どのような余暇を楽しみ、と自分を中心に物事を考える歩みは、神を信じる者として寂しい限りである。それは、過ぎ去った時で十分である。神の存在を知り、神の救いの大目的を知り、教会を通して、まことに神のご計画を知り、神のご計画の完成に向かって生きる歩みがある。神が、霊的な識別力を増し加え、神の望や使命に生きることを願い、真の「平穏」(20節)を得させていただきたいものである。

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