ホセア書1章

ホセア書1章 ホセアの家庭を通しての預言

おはようございます。ホセアの自らの家庭生活を通して、神の愛が語られる預言です。神の裁きよりも、神の愛の深さ、また契約に対する誠実さ教えられる書と言うべきでしょう。

今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.ホセア書について

本日からホセア書、小預言書と呼ばれる12巻の最初の書に入ります。小預言書とは言いますが、大預言書と価値の違いがあるわけではありません。単なる量の違いです。

さて預言者ホセアは、BC8世紀、つまりヤロブアム2世の時代からイスラエル北王国滅亡直前までの約40年間、イスラエル北王国を舞台として活躍しました(2列王15-17章)。ユダ南王国では、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤへと王が交替し、世界史的には、ローマとカルタゴがこの時期に設立され、インドでは釈迦が宗教上の改革を進めていました。ちなみに彼と同時代に活躍した預言者に、イスラエル北王国ではアモスとヨナがおり、ユダ南王国ではイザヤとミカがいます。

ともあれホセアが語った時代、イスラエル北王国の霊的に最悪の事態へと突き進んでいました。しかし神はそのようなイスラエルを変わらず愛し、悔い改めて立ち返ることを期待し、その神の愛が、ホセアの家庭生活の経験に重ねられて語られています。

2.ホセアに生まれた三人の子

まず2節、神はホセアに、一人の女ゴメルを妻とするように命じています。ゴメルがホセアに産んだ最初の子どもは、「イズレエル(神は種を蒔く者の意味)」と名付けられました(4節)。その地は、イスラエルの王エフーが先王のヨラムとその妻イゼベルを殺害し、その父アハブの70人の子らの首を積み上げた場所でした。血なまぐさいイメージがポイントで、恐らくここには、音のみならず、反意的な意味の語呂合わせ、つまり「あなたは、清純なイスラエルではなく、血なまぐさいイズレエルである」があります。

続く第二子、「ロ・ルハマ」(6節)は、「彼女はあわれみを受けない」を意味します。つまり、ホセアは妻の変わらぬ生き方に、もはや愛せない思いでいるのです。そして第三子の名「ロ・アミ」(9節)は、「我が民ではない」を意味します。ホセアの妻への愛は断ち切れてしまっているのです。ホセアと妻の関係は、象徴的に神とその民との関係を示しました。

しかし大切なのは、この後です。ホセアの結婚は失敗でした。スタートから異常事態でしたが、さらに自分を裏切り続け、苦悩を増し加える女性に対し抱く感情は失望と嫌悪そのものであったことでしょう。にもかかわらずホセアは、神との約束のゆえに、その妻を愛し続けていくのです。結婚とは約束事とはよく言ったものです。ともあれ、それは、神の民イスラエルが、どんなに神に背を向けても、神が契約に対する誠実さを守り、愛し続けることを物語る行動預言です。ちょうどエゼキエルが、言葉ではなく行動によって神からの啓示を人々に示したように、ホセアもまた自らの生活を通して、重要な神のメッセージを伝えました。本来はその関係を、ロ・アンミと否定されるような者でありながら、神は、これを切り捨てられることはない(10、11節)、神の誠実さに感謝し従ってまいりましょう。

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