【シーズン6】ローマ人への手紙4章 アブラハムとダビデの例【聖書】人生100倍の祝福

1.神の恵みを示す二つの事例(4:1-13)

人は罪人であり、皆神の裁きを受ける時を迎える。そんな話は聞きたくないなあ、と思う方もおられるでしょう。死後のことについては、宗教が様々なことを語ります。しかし、聖書は基本的に福音、良き知らせです。ですから、ほんの少しの勇気を働かせて、聖書が、死後のことも含めた人間の一生について、何を語っているのかに耳を傾けてみましょう。

まず、昨日の3章の流れからすれば、私たちには神の裁きが定められています。しかし神は、愛です。神は、悪い者を罰して終わりにするのではなくて、赦しこれを回復させてくださいます。つまり、イエスによる罪の赦し、救いがあることを伝えています。しかも、それは、全く神の愛に基づく、神の哀れみの行為であることをこの4章は念入りに教えているわけです。救われたのは、あなたに何等かのよいことがあったからではありませんよ、と。それを明確にするため、パウロは二つの事例を上げます。

まず、アブラハムの例です。彼は旧約では義しい人の代表とされる人です。しかし、アブラハムが神の祝福を受けたのは、彼のその模範的な人生が神に気に入られたからではありません。神は、アブラハムの善行ではなく信仰に目を止められて祝福されたのです。

次にダビデの例をあげます。ダビデは神に熱心なイスラエルの王でした。しかし彼が栄えて、権力の頂点に立った時、彼は自分の欲望のままに、部下の妻を寝取り、さらに邪魔者になった部下を殺してしまうのです。神を心から慕い求める所がありながらも、人間の屑のような心を持った、地獄に落ちてしかるべき極悪人です。ところが神は、このような悪人をもあわれんで、悪人が罪の赦しを願うと、その声に応えて赦しを与えられたのです。神が注目されたのはダビデの「悪行」ではなく「信仰」でした。

これらは人が行いによらず、信仰によって、つまり神の哀れみを信じる信仰によって、神の怒りと裁きから救われることを明らかにしています。そしてパウロは言います。この恵みは、ユダヤ人であるとかユダヤ人でないとかとは関係なく、全ての人に注がれる、と。

2.神の恵みを受け入れる(4:14-25)

この事実を深く心に留め、また理解すべきでしょう。というのは、せっかくこの真理を教えられながら、この真理に生きていないキリスト者が多いように思われるからです。そんなはずはないと思われますか。後半、パウロがアブラハムの生殖能力が失われた身体の例を取り上げて、丁寧にこの真理を取り上げるのは、理由なきことではありません。

アブラハムは、跡継ぎの子が与えられないでいました。99歳の高齢となり、妻も89歳、もはや生殖能力からすれば、彼らは「老人」ではなく「死人」です。跡継ぎを願うことについては、神の哀れみを願うなど恥ずかしい、いや論外の年齢であったわけです。ところが神は、そのようなアブラハムにイサクを与えられました。これが神のあわれみです。

人は罪の自覚が深まれば、自分の罪を考える時に、生きていることそれ自体が罪であると理解するようになります。つまり神の好意、神の恵みを受けるなど、もっての外、もともとこの地上に自分のような者は生まれなかった方が良かったのだ、と自分の存在の愚かさ、罪深さを思わされるのです。しかしそれがアブラハムの状況なのだ。神の救いを求めるには論外の人間に、神はあえて救いを与えられるとパウロは念入りに語り始めます。

つまり良識を働かせるなら、自分など神の祝福を受けるような者ではない、ただ滅びが相応しい者だと思ったとしても、それはあなたの考えです。神は、あなたを愛しておられ、あなたのその死せる魂にいのちを与えられるのです。まさにあなたのように罪を自覚できる人こそ聖書を開き、教会へ行くべき人です、と。それは、キリスト者に敵対し、キリスト者に乱暴を働きながらも、神の哀れみを受けて、使徒として立てられた著者パウロの確信であり、心からの願いでした。信仰に必要なのは、勇気と素直さです。

Romans 4: The Examples of Abraham and David

1. Two Examples of God’s Grace (4:1-13)

Some of you may be thinking, “Well, we are all sinners, and we will all come under God’s judgment. Some of you may be thinking, “I don’t want to hear about that. Religions talk about different things after death. But the Bible is basically the gospel, the good news. So let us have some courage and listen to what the Bible has to say about human life, including what happens after death.

First, in the sense of yesterday’s chapter 3, God’s judgment is foreordained for us. But God is love. God does not punish the wicked and be done with them, but forgives and restores them. In other words, we are told that there is forgiveness of sins and salvation through Jesus. Moreover, this chapter 4 is an act of God’s mercy, based on God’s love. You were not saved because of some good thing you did. To make this clear, Paul gives two examples.

The first is the example of Abraham. He is the representative of the righteous in the Old Covenant. But Abraham did not receive God’s blessing because God liked his exemplary life. God blessed Abraham not because of his good deeds, but because of his faith.

Next, we have the example of David. David was an Israelite king who was zealous for God. But as he prospered and rose to the pinnacle of power, he followed his own desires, cuckolding the wives of his men and even killing those who stood in his way. He was a wicked man who should have gone to hell because he had a heart like human garbage, even though he had a sincere longing for God. But God had mercy on such a wicked man, and when he asked for forgiveness for his sins, God answered his voice and granted it. God’s attention was not on David’s “wickedness” but on his “faith.

They reveal that it is not by works that one can be saved from God’s wrath and judgment, but by faith, that is, faith in God’s mercy. And Paul says This grace is poured out on everyone, Jew and Gentile, whether they are Jews or not.

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