ヨシュア記12章 征服地の概要
<要約>
おはようございます。副将のヨシュアが信仰によって、神の民のものとした約束の地のリストがあげられていきます。ここは、少々聖書地理を頭に叩き込んでおかなければ、その広がりが理解できないところでしょう。面倒とは思いつつも、聖書地図を開き、地点を確認していくことが、聖書の世界がリアルになるコツです。神と良き時を過ごすことは、時間を要することです。しかしそれが、次第に神と良き時を深めるコツでもあるのです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.神の民のものとなったカナン
主のしもべモーセと、ヨシュアによって、カナンは取り戻されていく。前半の1-6節までは、モーセによって占領された地域で、ヨルダン川東側に当たるルベン、ガド、マナセが相続した地である。9節からは、ヨシュアによって占領された地域で、地名は、イスラエルの地理に詳しくない日本人にとってはいささかたいくつなリストである。これを一つ一つ、地図で確認するのも大変であるが、いくつか見ていくと、だいたいヨルダン川西側の国々となっている。エルサレム、ヘブロン、ヤルムテ、ラキシュ、エグロン、ゲゼル、デビル(10-12)、リブナ、アドラム、マケダ(15-16a)これらは、今のエルサレム近郊に位置する国々である。ゲデル、ホルマ、アラデ(13-14)は、今のガザ地区、および、死海南部の西側に位置する。べテル、タプアハ(16b-17a)は、イスラエルの中部、ヨルダン川西側に位置し、ヘフェル、アフェク、シャロン(17b-18)は、地中海沿岸に位置する。マドン、ハツォル、シムロン・メロン(19-20)は、キネレテの海、つまり、ガリラヤ湖の北に位置する国々。アクシャフ、タナク、メギド、ケデシュ、ヨクネアム、ドル(21-23a)は、カルメル山、ガリラヤ湖の西側、地中海よりに位置する。ゴイム、ティルツァ(23a、24)は、それぞれヨルダン川の西側、南部と中部に位置する国々である。
こうしてみると、大雑把に、今のイスラエルの南方の国々、そして北方の国々を重点として、その中部のいくつかの国々を占領し、これらを所有地として部族ごとに分割したことがわかる。そしてこれが主のしもべモーセとヨシュアが、主にあって成し遂げたことなのである。
2.神の民のものとすべきもの
しかしながら、考えてみるに、私たちの救い主であるイエスも同じように、私たちが占領すべき町々を占領させ、これを私たちに所有させてくれる。パウロは言う。「キリストはすべての支配と権威のかしら」(コロサイ2:10)であると。また「キリストにあって、あなたがたは肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けた・・・私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書をとりのけ、十字架に釘付けにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました」(コロサイ2:11-15)。
占領すべきものは多くあるだろう。一つは、私たちの体である。私たちは、これまで世の悪を楽しんでいた目を、神の愛を見つめる目とし、悪に染めていた手を、善を行う神にささげられた手とし、悪の道を彷徨い歩き続けた足を、福音のよき知らせを告げ知らせる足とするのである。また、私たちの知性や感情も、神を否定し拒絶する知性を、神の摂理に合って物事を考え抜く知性とし、ねたみ、憎しみ、怒りという感情に満たされていた心を、愛、善意、誠実さに満たされた心とするのである。まずは、私たち自身の体、知性、感情が征服され、その上で、この社会が主のものとして取り戻されるための戦いをしなくてはならない。それは、単純に私たち自身が、主にあって新しい者、キリストにあって変えられた者とされることを出発とするものであり、互いに、主にある新しさを願う戦いであるが、結果的に意図せずにして、貧しい者、虐げられた者が回復される戦いに繋がっていくものである。そして勝利を与えてくださるのは、またその結果をつけてくださるのは主ご自身である。主のしもべとして、主が勝利に導いてくださることを信頼しつつ、歩ませていただこう。