出エジプト記5章

●5章 イスラエルの苦役
1.モーセの躓き(5:1-9)
 モーセは、神の守りと助けによって民の信頼を得て、アロンと共に、ファラオのもとへ出かけて行きます。そしてモーセは、「イスラエルの神、主はこう仰せられます」と神の代弁者となって語り掛けるのです。「わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ。」一国の王を前に、それは実に大胆な発言でした。ファラオは、太陽の申し子であり、最高位の神々の寵愛に与り、神と等しく礼拝されるべき存在と考えられていたからです。ファラオのことばは神の言葉に等しく、その命令は絶対でした。ファラオが他のものに従うことはありえなかったのです。ファラオは怒り、結果ヘブル人は、一層の苦役を強いられることになりました。
当時のレンガはひび割れを防ぐために藁を混ぜて作られていました。その藁の供給を止められ、自分たちで藁の代わりとなる切り株を集める作業が加えられたのです。仕事は倍以上、しかしレンガの品質も量も落とすことはできませんでした。モーセがやったことは、大変な事態を引き起こしたのです。主に呼び出され、主の召しに従っただけのモーセにとって、こんな事態になるなど、なんとも受け入れがたい結果であったことでしょう。
しかし、神のみこころがすべて良いことづくめであるわけではありません。神のご計画に沿ったはずのことも、大きな障壁に阻まれることだってあるのです。確かに考えてみれば、もともと、人間が容易くやり遂げられるようなことを、なぜ神が命じるでしょうか。「私ではありません。神が」という信仰に立つ者にとって、簡単にできることなど不要です。神の業に与る使命に立つからこそ、今直面している事柄が、いかに複雑で面倒で、解決の糸口すら見つかりにくいものであるかを、まず理解しなくてはなりません。ある意味で躓きというのは、これが神の力を必要とするということを、私たちが深く自覚するためです。人は人の力を超えた、神の力を引き出す働きのために、神に召し出されるのです。
2.主に知恵をいただく(5:10-23)
藁や切り株を自分たちで探し、集め、さらに同じ品質、同じ量のレンガを作る作業は、極めて過酷なものとなりました。そこで、イスラエル人のかしらたちは、ファラオに直訴しています。神の申し子であるファラオのもとに、下々の者が出ていったとしても、相手にされないことなどわかりきったことですが、イスラエルの民は追いつめられていたのです。イスラエル人に対する王の心象は、いよいよ悪化し、怒りは憎悪と化しました。19節、イスラエルのかしらたちは「これは、悪いことになったと思った」と言います。確かに「これは、悪いことになった」と思われるようなことが私たちの人生には起こるものです。何とか物事を良い方向に動かそうとすればするほどに余計なことが起こってくる。物事が複雑になって、いよいよ事態は最悪になって、もうお手上げだと途方に暮れることもあるでしょう。
かしらたちの怒りがモーセとアロンに向かって爆発します。初めは、「主がイスラエルの子らを顧み、その苦しみをご覧になったことを(出エジプト4:31)」覚えて、主を礼拝した彼らたちでしたが、今や、そんなことはどこかに吹き飛んでしまっているのです。モーセがかしらたちの怒りを受けて、神に訴えています「いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか」「あなたの御名によって語って以来、彼はこの民を虐げています。それなのにあなたは、あなたの民を一向に救いだそうとはなさいません」(22,23節)。トゥルナイゼンは、牧会というのは、相談者の言葉を聴きながら、そのことについての神の言葉を求めることである、と言いました。相談者の言葉に聴いてそれに応答するのではない。聴いて、さらに神の御心を聴き、神の答えを求めるのです。確かに、すべては神から出たことであるなら、神以外に事態は収拾しえないものでしょう。困難に際しては、何よりもまず主に、どうしたらよいのか、主が知恵を授け、物事を理解できるように、祈りたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「割礼がイスラエル人の間で、宗教儀式として行われるようになったのは、誰が始まりであったでしょうか?答えは、アブラハムです(創世記17章)。アブラハムが99歳、その子イシュマエルが13歳の時に、彼の家のすべての男子が割礼を受けたのが始まりです。
では、今日の聖書クイズを一つ。イスラエル人はエジプト人に奴隷とされ、レンガを作らされましたが、逆に、イスラエル人がレンガを作らせ、奴隷とした民族は、何人でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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