イザヤ書62章

62章 新しい名を与えられる
 おはようございます。聖書を読み、思うことは、まことの神の愛の深さ、そのことばの温かさが心に沁みるところではないでしょうか。人生簡単に諦めてはなりません。神とともに再出発する心を持ちたいところではないでしょうか。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.神の悦子
「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はシナイ。その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは(1節)」なんと力強い励ましの言葉だろうか。心を深く揺さぶるような神の語り掛けである。そのように、神の声を聞き、信頼していくのが信仰というべきものだろう。いつまでも自分を枯れ木だ、何もかも失い、老いぼれて、ボロボロの自分に何の望みがあるのか、と言ってはならない。神の声に耳を傾けよ、である。神は、「あなたは新しい名で呼」ぶ(2節)と言う。人の評価はなかなか変わらないものだろう。一度貼られたレッテルを剥がすのも用意ではない。しかし、かつてイエスは、一介の漁師シモンをケパ(ペテロ)と呼んだ。そしてペテロが想像しえなかった新しい人生が始まった。神はことばであり、創造主である。神が「光りよ、あれ」と語れば光が生じる。無から有が生まれる。だから、もはやあなたは「見捨てられた」とも「荒れ果てている」とも言われない(4節)。矢内原忠雄は「日本流では「悦子」とでもいうところ」と注釈するが、神は、あなたを妻とし、あなたを「喜び」とする、と言う。まさに、花婿が花嫁に夢中になるように、あなたは大事にされるし、価値ある者とされる。大切なのは、どんな偶像がこのように語り掛けるのか、である。これまでイザヤは偶像崇拝を戒めてきた。そして、かくも温かい血の流れる作り物ではないまことの神の語り掛けを伝える。ためらわず、神に語り掛けに応じよ、である。
2.行動を起こせ
だから、「黙っていてはならない」。「主を休ませてはならない」と言う。要するに、神は、「わたしは黙っていない。その救いが、たいまつのように燃えるまでは」と言うのだから、私に心を合わせよ、ということだろう。私と一緒にやろう、これからの人生は私と一緒に生きるのだ、という神の温かい語り掛けである。
 8-9節、10-12節、神の二つの約束が語られる。「わたしはあなたの穀物を、再び敵に食物として与えない。あなたが労して作った新しいぶどう酒を、異国の民が飲むことはない」もはや、これからの人生においての労苦に無駄はない、ということだろう。労した実が他人に取られ、残りカスを食らっていると思わされて来たなら、もうそのように思うようなことはさせない、と肩を落とす妻に語り聞かせる夫の決意がそこにある。労した実は、労した者が第一に受け取るべきである。公正さを示す神が、私たちに誓う。「通れ、通れ、城門を(10節)は、直接的には捕囚帰還を想定したものなのだろう。だが、今の時代に適用することもあながち間違ってはいない。「見よ、あなたの救いが来る」そのように語り掛ける、まことの神の愛に素直に感謝し、信頼して、歩むこととしよう。