エレミヤ書31章

31章 あなたは建て直される

おはようございます。人は命ある限り望みはあると考えるべきです。というのも、エレミヤの預言は、マタイが新約聖書の福音書に引用するように、過去のものではなく、今の読者にも訴える内容を持つものです。聖書の神は、あなたの神となってくださいます。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.回復のメッセージ

捕囚からの回復を告げるメッセージが続きます。まず北王国(2-22節)、次に南王国(23-26節)、そしてイスラエル全体(27-30節)の回復が順に語られていきます。最初の北王国の回復については詳しく、まずこれを実現する神の意思(4、8節)とその内容の豊かさが語られます(12-14節)。かつての出エジプトと同様、神の強い意思と、人の理解を超えた神の力強い御腕がこれを成し遂げるのです。しかし他方でそれは、民の側の罪の自覚と悔い改めの告白に基づいて起こるものです(18、19節)。つまり神の祝福は、自らの罪を認め、神の助けを求めて神ご自身との関係を回復しようとする者にもたらされるのです。それは、12節に見るように、物質的な祝福のようでありながら、その強調は、12節後半の神との内面的な新しい関係にあるとみるべきです。神の恵みに満ち足りることは、「疲れた魂を潤し、すべてのしぼんだたましいを満ち足らせる」(24節)という、内面的な活力に溢れること、打ちのめされた過去を捨てて新しい未来を歩む勇気が与えられていくことです。この先どんな可能性があるだろう、と思うことがあっても、「命ある限り人には望みがある」のです。いかに絶望的な淵に立とうと、人は決して自らの人生を諦めてはなりません。

2.新しい契約

実際神は、これらの祝福について口約束では終わらせません。これを新しい契約とする、と明言されるのです。31-34節は、エレミヤ書の中でも最も重要な新しい契約の預言です。ヘブル人への手紙の著者は、この箇所を引用し、イエスの十字架が、モーセのシナイ契約(出エジプト24章)にまさる新しい契約であることを解説しています(ヘブル8章)。つまりエレミヤの預言は、どうも捕囚帰還のテーマを超えたメシヤの時代について語っているのです。22節の最後、「ネケバー(女が)テソベーブ(囲む)ガベル(人を)」は、背信の娘(女)がもはや迷いを捨てて、ただ神に与えられた御子イエス(人)を愛するに至ることを語っています。古い契約で与えられたのは、律法の二枚の板で、「心を尽くして」それを守ることが教えられてきました(申命記30:6)。しかし新しい十字架の契約では、これを目撃した百人隊長が告白したように(マルコ15:39)、与えられたのは神の御子イエスで、その十字架を頂点とする愛の御業が深く人のたましいを捕らえて、心からの神への従順が引き出されるのです。神の愛への応答として結ばれ、実行される契約が、新しい契約なのです。

なお、マタイは、ラケルの嘆き(15節)の詩を、ヘロデ王によるベツレヘムの嬰児虐殺と関連して引用しています。初代教会の弟子たちが、この新しい契約を自分たちの時代、また現代への適用として読んだことは明らかです。私たちもまた神の回復の対象なのです。