エレミヤ書34章

34章 ただ神を認め、神に従う

おはようございます。33章では、エレミヤは監視の庭にいました。本章は、どうやらその前の出来事を扱っているようです。本章から44章までの時間の流れを大雑把に捉えて、読み進んでいきたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.ゼデキヤの運命と後半の流れ

これまでエレミヤは、エルサレムが救われるためにバビロニヤに降伏すべき事を繰り返し語ってきました。エレミヤの預言は語られたとおりに実現し、神の裁きの道具であるバビロンは、ユダの城壁のある町々を次々と陥落させ、エルサレムに迫ってきました(2節)。もはやゼデキヤ王に残された救いの道は、バビロンに素直に投降することだけでした。しかし彼は抵抗して逃れようとし、捕らえられ、目を潰されて、バビロンに連行されてしまいます(2列王25:1-7)。ゼデキヤ王の身に起こる結末があらかじめ語られたものであることが示された後(1-7節)、44章までが、エルサレムの陥落とその前後に起こった悲劇的な事件の記録となっています。33章ではエレミヤは監視の庭にいましたが、本章はそれ以前の出来事で、まだ逮捕されておらず、ゼデキヤ王の元に自由に出入りできていた様子がうかがえます。ともあれ、34-36章がエルサレム陥落前の出来事、37-39章がエルサレムの包囲と陥落、40-44章がエルサレム陥落後とエジプトでのエレミヤの晩年の出来事です。

2.ヘブル人の奴隷解放をめぐる出来事

まず本章では、エルサレム陥落前、ゼデキヤが、ヘブル人の奴隷を解放しようとした出来事の記録です。彼らが奴隷を解放しようとした理由はいくつか考えられています。一つは自分たちのあわれみ深い行為によって、神が差し迫るバビロンの危機から救い出してくれるかもしれない、と期待したためでした。また、エルサレムが籠城戦に入ると、町の外の耕地で働く奴隷は、所有者にとって余計な食糧負担をもたらす重荷となりました。いずれにせよ、所有者の身勝手な理由があったというべきでしょう。彼らは奴隷の解放に際して厳粛な契約儀式を行い、実行していきます。しかしエジプト軍がエルサレム解放のために動き出し、バビロン軍が退却し、危機が回避されると、エルサレムの首長と民は、いとも簡単に心を翻し(11節)再び奴隷を連れ戻して、耕地を耕す人手として使役するのです。

レビ記には、ユダヤ人は、神の奴隷であるから奴隷にしてはならない、と規定されています(レビ25:42、55)。しかし当時、経済的な理由から自発的に奴隷になる者がいたのでしょう。外国に身売りをした彼らの中には、イスラエルに買い戻される者もいました。そのような奴隷は、7年目に解放することが律法に定められています(申命15:12)。しかし奴隷所有者は、これを手放したがらず、神の御教えに従わなかったのです。神はこれを神の名を汚す行為とみなし、報復を誓うのです(17節)。

苦しい時の神頼みではありませんが、人が神を求めるのは、結局自分都合であったりします。しかし、まことに天地創造の神がおられるのならば、人はただ神がおられる、というだけで神を崇め、神に従う心を持つべきです。神に対する正しい態度が求められています。