43章 神の言葉に信頼するチャレンジ
おはようございます。信仰は、神の可能性と誠実さに懸けていく行為です。私たちは力なき者、不誠実な者であっても、神は違います。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.カレアハの子ヨハナンの決断
イスラエルの残りの民は、エレミヤのことばを主のことばとして受け止めようとはしませんでした(2節)。指導者となったカレアハの子ヨハナンは、エレミヤがバルクに惑わされていると主張し、エレミヤに神の言葉があったこと自体を否定しました。神の言葉を求めながら、いざ意に反することが語られると、それを受け入れようとしないのです。ハーバード大学神学部の教授であったヘンリ・ナウエンは、人間の心には「光への愛だけではなく闇への愛」も存在する、と語っています。自分自身の思いを変えようとしない頑なさが人間にはあるのです。
ただこの状況でユダに留まり続ける決断が出来るかどうか、それは確かに難しいことであったでしょう。徹底的に破壊された町で、仮設の生活を余儀なくされる状況と、これから町を再建する努力、さらには、クーデターによるバビロン反逆の嫌疑をかけられ、処罰されるかもしれない不安、そのような現実の中で、神の約束一つに留まり続けるのです。何の良き兆しもない中で、ただ神のあわれみにより良き業が起こることを信じるのは難しいものです。「ユダの国にとどまれ」という主の御声は、目に見えぬ将来の安全と保障を語るものでしたが、ヨハナンにとって全く論外のチャレンジと思われるものでした。ヨハナンは、エレミヤとバルクを虜にして、エジプトへ逃れようとします。
2.ヨハナンには想像もつかなかった神の意思
歴史家のヘロドトスはタフパヌヘスをダフナイと呼んでいます。そこは、第26王朝のプサメティコス1世がエジプトの三角州東部を守備するために整備した辺境の要塞都市でした。そこに政府関係の建物があったのでしょう。エレミヤは大きな石を取り出し、敷石のしっくいに隠し、神のことばを語りました。ネブカデネザルの本陣がここに置かれる、と。神のことばに耳を貸そうとしないイスラエルの民に、待ち受けている近未来を印象的に語る行動預言でした。それは、エジプトに逃れればなんとかなると考えたカレアハのヨハナンを震え上がらせたことでしょう。この預言は、ネブカデレザルの治世の第37年に実現します(BC568/7年)。ネブカデレザルは、アマシスと一戦を交え、エレミヤが預言したような打撃を与え、エジプトをけん制するのです。それ以降アマシスは、バビロンとの友好関係に注意を払うようになります。
神は、永遠の神であり歴史を形作られる神です。その神がすべて先を見通して語られることばに、私たちは注意深くあるべきでしょう。また敗れ去って、何をどこから建て直してよいかわからぬ状況においても、神のあわれみは私たちを救うと信ずべきでしょう。神を信頼して歩むことは、目に見えない神の可能性にかけていくことに他なりません。自分自身は不誠実であっても、神は誠実であり真実なのです。信仰に立って歩ませていただきましょう。