エレミヤ書45章

45章 神の深き御心に従う

おはようございます。人間が、いかにその限界の中で物事を考えているか、よくわかるエピソードでしょう。英知に満ちた神のみこころに従う、そこに私たちの幸いがあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.バルクの動揺

45章は、バルクに対する神のことばです。44章との連続性はなく、むしろ内容的には、36:1-8の出来事に並ぶものでしょう。しばしば記事が時間的に前後している箇所があり、聖書を読む難しさとなっています。ともあれ、エホヤキムの第四年、バルクはエレミヤのことばを口述筆記し、これを民に読み聞かせました。するとこれは王の耳に入り、王の怒りを避けるために、エレミヤとバルクは身を隠さねばならなかったわけです。その時、バルクが嘆いたことをこの章は綴っています。

バルクはエレミヤの秘書として、苦しみと試練を共有してきました。苦しみと試練をどう考えるか。バルクは、ネリヤの子で、ゼデキヤ王の宿営の長セラヤの兄弟です(51:59)。つまり彼は高貴な家の出であり、人脈的に高い地位を手に入れることもできた人です。それなのに、エレミヤに出会ったのが運の尽き、命すら危い状況になっているわけです。バルクもエレミヤの信仰に共感すればこそ、エレミヤに付き従ってきたのでしょうが、いざ尻に火が付けば、改めて自分の置かれた現実に目が覚めて、信仰も揺るがされるということなのかもしれません。実際、どうでしょう。自分の身が危うくされるような状況が、教会に所属することで出てくるようなことがあったら、どんなことばが口をついて出てくるのか。

2.バルクへの神のことば

神は、バルクに言います。「あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな」神はバルクの心を探っています。人はウィンウィンである限り、文句は言わないものでしょう。しかしそれが崩れる時に、人は迷い、呟き、背に腹は換えられないと毒づき始めます。もちろん、それが普通の人間なのでしょう。誰でもそうであろうと思います。ただ神は、そのように貧乏くじを引いたと卑しい根性を見せるバルクに、「わたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品として与える」と温かいおことばを賜るのです。戦禍にあって国が倒れる寸前の火急の時、地位や名誉、お金を求めて何になるでしょうか。いのちが守られること、これに優る祝福はないのです。そして本当に卑しい罪人に、かくまでも親切に目をかけてくださる神様の素晴らしさにも気づかねばなりません。神様が人間に恵み深いことは、当たり前のことではありません。実際、誰が卑しさを見せる人間に親切な心を持つことができるものでしょう。しかし神はそうではないのです。単純なエピソードの中に、神の懐の深さが語りつくされているのです。

最終的にバルクは別の意味で神の栄誉を受けました。彼はエレミヤと共に生き延び、彼の預言をまとめ完成させ、今日の私たちに伝える重要な役割を担ったのです。人間が考える成功や勝利も近視眼的です。それに伴う一喜一憂も虚しいものでしょう。上善如水、先を見通す神のなさることをよしとし、従うところに何よりもの幸いがあると考えたいものです。