ヨハネの福音書2章

ヨハネはこの2章で二つのエピソードを取り上げる。水をぶどう酒に変える、イエスの生涯の中で最初に行われた奇跡、そして一般に「宮清め」と呼ばれている、イエスが神殿で商売をしている人たちを追い散らした事件である。

まずカナの婚礼のエピソードであるが、ユダヤでは、通常結婚式は盛大に行われ、その宴会は一日ばかりか1週間続くこともあった。この婚礼で、ぶどう酒が足りなくなる不測の事態が生じてしまい、イエスが母マリヤにその対応を求められるのである。

水瓶の水はユダヤ人が手を洗ったり、また、食器を洗ったりするためのものであった。80リットルから120リットルの水瓶が6つ。おおよそ2,400人分のぶどう酒にこれが変化したと考えてよいのだろう。そのスケールの大きさのみならず、水がぶどう酒に変わる、奇跡が描かれている。そして、このしるしによって弟子達は信仰を持った、という(11節)。

ヨハネはこのエピソードを取り上げて何を言おうとしたのか。単純に、イエスが物事の本質を変える力を持つ神に等しいと言いたかったのだろうか。自分たちとともにいるのは、全能の神である、そのような確信に弟子たちは満たされた、と。そして私たちも、自分の人生が水瓶の中に閉じ込められた味気のない水のように思えたとしても、信仰を持ってイエスの御業に期待すれば、人々を喜ばせ楽しませる上質のぶどう酒のようなそれに変えられるだろう、と受け止めていけばよいのか?

あるいはそうかもしれないが、注目すべきは、イエスが、母の求めに対して「わたしの時はまだ来ていません」と語っている点である。「時」ということばは、福音書の中では一貫して苦難の時を指すものとして用いられている。つまり「わたしの時」と言えば、それはイエスにとって十字架の時以外にありえない。母はこの機会に、神の不思議を行って、メシヤであることをカミングアウトすることを期待したのかもしれないが、イエスは、メシヤであることをカミングアウトするのは、まさに「苦難の時」以外にはありえない、と答えた、というわけだ。

確かに、イエスがこの世に来られたのは、人の肉体的な欠乏を満たすためでも、幸福度を高めるためでもない。ヨハネは、単純に気前よくぶどう酒の不足を補い、人々を喜ばせるイエスを描いているわけではない。むしろヨハネは、これがイエスの「最初のしるし」であった、と言う。つまり、イエスにとって水をぶどう酒に変える奇跡は、「わたしの時」、苦難の時が来る、というしるしだったのであり、その時が来れば、人類に新しい命を豊かに注ぎだす、神の恵みがあることを伝えるしるしだったのである。イエスが、私たちの味気のない人生を、全く新しく変えられるとしても、その根幹に、イエスの苦難がある、イエスの十字架がある、その上での私たちの人生の変革である、ということだ。

次に、ヨハネは、いきなり宮きよめの出来事を取り上げる。いきなり、というのは、他の共観福音書をよむならば、時間的な位置づけが違うからである。他では、このエピソードはイエスの生涯の最後の一週間の初めにでてくる。この出来事を通して、イエスはユダヤ人の権力者たちに睨まれ、十字架刑へと送られることになっていくのだが、ヨハネは、そのエピソードを、メシヤとしての宣教開始直後の、最初のエルサレム訪問のことだとしている。

これをどう考えるか、同じような出来事が、二つの異なる機会にあったのか。あるいは、同じ出来事についての二つの異なる伝承が伝えられてきたのか、よくわからない。しかし、ヨハネは先のカナの婚礼のエピソードをしるしとしている。これもしるしとして読んでいく必要があるのだろう。つまり、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」とある。本来、いけにえの動物は、遠方から来る巡礼者の便宜を図って売買された。それがいつの間にか金儲けの手段となり、普通の値段の10-12倍の値段で売られていたと言われる。神の神殿は、こうした腐敗と、あくどい商売の横行する場として利用されていた。そして、礼拝も形骸化していた。イエスは、それに義憤を感じ、両替人たちのテーブルをひっくり返した、と言うわけだ。しかし、これもしるしである。つまり、弟子たちはこの出来事を見て、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と言う言葉を思い起こしたという。つまり、先のしるしが十字架の苦難を予表するものであるとしたら、この第二のしるしは、まさにその苦難によって食い尽くされたイエスの死を予表している。そして第三のしるし、として、ヨハネは、イエスの復活の話を加えている(18-22)。

大切なのは、この2章を通して、イエスの苦難、死、そして復活の三つがしるしとして語られたことなのだろう。そして、このことは、当時の弟子たちにはわからなかった。けれども、イエスが実際に、苦難と死と復活を通り抜けた後に、彼らはそれを理解し、信じたという(22節)。

イエスが生きていた時に、イエスがなさろうとしていたことを正確に理解していた人はいなかった。イエスの十字架の救いが、すべての弟子たちに了解されたのは、イエスが復活した後のことである。そしてヨハネは、イエスが昇天してから60年、半世紀以上も経ってからこの書を書き起こし、イエスの生涯には、そのまさに初めから、苦難と死と復活の予告があったのだと伝えているのである。イエスを単純に信じるのではなく、イエスのことばと御業の深い意味を理解し、そして信頼していく、これが私たちに求められていることに他ならない。

 

 

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