人生💯倍の祝福😊 サムエル記第一2章 主は弱い者をちりから起こし

2章 ハンナの祈り、よこしまなエリの息子

1.ハンナの歌を巡る議論

今日の冒頭にある、ハンナの歌と呼ばれるものについて、ことに10節、イスラエルの王が存在する前に「ご自分の王」について触れている点から、ハンナの創作が疑われてきました。つまり、ハンナの時代から500年後、捕囚帰還の時代以降(第二神殿時代)の編集者がハンナがあたかも歌ったかのように造ったものと考えられているのです。しかし、そうではないことは、次のような理由によって支持されています。

①モーセの歌(申命記32:31,37)と同じように、神を「岩」あるいは「山」と呼ぶ

②詩の中の繰り返しは、類語ではなく、同一語である(1,6節の「主」など)

③問題の10節は、ハンナの預言的な洞察である。

実際に、王の必要性は、既にモーセの時代に明らかにされていた(申命17:14)のであり、ハンナが、自分の息子の働きによって王朝時代が幕開けようとしていること預言的に語ったというわけです。

2.ハンナの主への賛美

そこでこのハンナの歌の中身ですが、ハンナはまず主を賛美しています「あなたに並ぶ者はないからです」(2節)、このような主の前に、人は遜らなければなりません(3節)。神はこの世界の摂理的成り行きを支配しており、善意に満ちた大能のお方である。この信仰に立つなら、ハンナのような「不妊の女」にも絶望はない、ということでしょう。主は「あくた」(8節)つまりは、役立たずと価値を認められず、捨て去られるような者であっても、神はその人を、そのように見ることはなく、名誉を挽回してくださるのです。たとえ「よみ」に下されたとしても、つまりもう完全に終わっている、と思うことがあっても、その死の領域から生へと連れ戻すことができる力あるお方です。神は物事をひっくり返すことのできるお方なのです。主を信頼しましょう、というわけです。

後にこのハンナの賛美は、マリヤの賛歌の模範となりました(ルカ1:46-55)。つまりハンナの祈りは、時代を超えた万人の祈りとなるべきものです。実際ハンナは、個人の思いを越えて、弱き者、貧しい者の祈りと自分の祈りを重ねています。「主は聖徒たちの足を守られます」(9節)と他の信仰者の必要を心に留めているのです。ハンナにとって、主はすべての者の主です。自分のことだけを考えることを超えて、神の恵みを共に祈ろうとする心は、倣うべきものでしょう。互いに祈りの経験を分かち合い、互いにとりなす思いを持っていく、成熟した祈りに導かれたいものです。

10節は、既に述べたように預言的です。私たちの祈りもまたしばしば預言的と言えます。祈ったとおりに物事が進むということがあります。それは神が私たちの祈りを聞いてくださっているからです。

3.エリの家族の物語

さて、エリは非常に優秀な祭司でしたが、子育てには苦労していました。エリにはホフニとピネハスという二人の子どもがいました。12節を見ると、彼らは父に似ず「よこしまな者たちで、主を知らなかった」と言います。実際、彼らは、いけにえを献げているときに、そのいけにえの肉を横取りする者でした。これは行儀が悪いという以上に、聖なる儀式を卑しめ、神を恐れない行為でした。さらに彼らは、宮に仕えている女たちと寝るほどに愚かな者でした。もちろん、エリは放任していたわけではありません。エリは、親として語るべきことを語り、育てようとしましたが、子は父の言うことを聞かなかったのです(25節)。けれども、預言者による神の評価は厳しいものがあります。「あなたは私よりも自分の息子たちを重んじた」(29節)と言います。神への冒涜を続けることを許した父親の責任を神は問われたのです。確かに難しい子育てはあるものです。しかし諦めてよいような親子関係はないのでしょう。自分に与えられた子育ては自分に与えられた後にも先にもない、重要な使命であり、神の業が現れる恵みの機会であると受け止めて、神に知恵を求め心を砕きながら関わり続けていく、それが、期待されることです。

36節、エリの子孫についての預言は、ハンナが歌った逆転劇を認めています。最上のもので身を肥やした者が、パンのために雇われる逆転が起こる。となればいかなる境遇であっても、神を信じ、神に寄りすがる者には幸いがあると心得たいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。サムエル記は、元々のヘブル語聖書では、どのような構成になっていたでしょうか?①1サムエル記と2サムエル記が一つにまとめられていた。②現在の聖書のように二つに分かれていた。答えは①一つにまとめられていた、です。ギリシャ語の七十人訳聖書の翻訳者たちが、これを二つに分け、王国の第一の書と第二の書と呼び、現在の形になったとされます。では、今日の聖書クイズを一つ、エポデは、栄光と美を現す聖なる装束でしたが、祭司はこの下に何を着たでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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<天草さんのフォローアップ>

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