1列王記5章

1列王記5章 ソロモンの神殿建設
<要約>
おはようございます。ソロモンの神殿建設は、ソロモンの事業というよりも、神の事業というべきです。神がソロモンに必要な人脈、助けを起こされ、必要なものを提供されたというべきでしょう。一つ一つ導かれる神に期待する歩みをさせていただきたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.主の助けと恵みによる建築
ソロモンの神殿建築事業が始まる。ソロモンは、主に与えられた知恵を用いてそれを進めていくのであるが、実際にはたくさんの人たちの協力が加えられた。その材料の多くは、父ダビデによってあらかじめ用意されたものだった。また、イスラエルでは手に入らない木材と職人は、異邦人の王ヒラムとカナン人によって提供された。
いくら知恵があっても、一人の人間にできることは限られている。協力なくして物事は進まないものである。ソロモンが神殿建設の偉業を成し遂げたのも、それは、ソロモンだけによるものではなく、多くの助けがあったのであり、その助けを導かれた神を見落としてはならないだろう。
そのような意味では、今日教会を建てることにおいても同じなのである。牧師が一人で何もかもできるわけではなく、牧師と一緒に協力し、教会を愛し、教会を建て挙げるように、教会にかかわっていく信徒がいてこそ、教会は建てあげられる。また、信徒のみならず、未信者の人々もこれにかかわることはあることであって、神があらゆる人々を神殿建設の働きに結集させてくださったように、私たちは、信仰のあるなしにかかわらず、どんな人の協力にも心を開いていく必要がある。
実際、イスラエルには、大規模な建築事業を実地するだけの十分な材料があるわけでもなく、職人もいなかった。果たしてこれをどのように進めるのか、ソロモンも悩んだであろう。しかし、事態は王位継承に際して、ツロの王ヒラムが、表敬使節団を送り込んできた際に展開した。ソロモンはヒラムに協力を求め、ヒラムはこれに応じた。すべて良きものは上から来るのである。
2.
ソロモンは、単に、ヒラムから物をもらい続けたわけではなかった。ソロモンは杉の木を得る代わりに、食料を与えることを約束している。また、労働者をカナン人だけから徴用することはなかった。ソロモンは言う。「私のしもべたちも、あなたのしもべたちといっしょに働きます」(6節)そして、ソロモンは全イスラエルから役務者を3万人徴用し、レバノンに送ったという。
しばしば、人にしてもらうことに慣れてしまい、それを当たり前のように受け止めることがある。権利を主張するが、自分のなすべき義務については目をつぶってしまい、してもらうことが当然であるかのように考えてしまう。特に物事が厚意でなされ、そのように関わってくれる人がいれば、そういう感覚に陥ってしまうことがある。しかし、単純なウィンウィンでもなく、持ちつ持たれつというのでもなく、私たちの良識として、してもらうことに対する礼を尽くしながら、物事を進めていくことが大切なのだろう。
信仰を持つことは良識的な人生を歩むことであり、それは、決して非常識になることでもないし、自分の甘えを許すことでもない。やはり信仰者は自立した歩みをしてこそ、自らの信仰の祝福を存分に味わうことができる。そして自分の人生において教会を建てあげるように関わることをしっかり考えたい。自分の好きなことを教会でやらせてくれというのではなく、今神が建て上げようとしている教会に必要とされていることに気づいて、協力をしていく、それが本当の意味で教会を建てあげていくことだろう。自分を救い、富ませる歩みだけではなく、教会を愛し、献身して財も時間もささげていく歩みをしていきたいものである。

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