テサロニケ人への手紙第一1章

パウロがこの手紙を書いたのは、使徒の働き(18:1-5)によると、第二回伝道旅行の途中、コリントからで、1年半の滞在中(使徒18:11)の初期であった、と考えられている。年代的にはAD51年頃、パウロが書いた手紙の中で、最も初期のものとなることだろう。

そもそも、テサロニケ教会は、パウロが第二回伝道旅行の際に、数人のユダヤ人と、多くの、「神を敬うギリシヤ人」を回心に導いたことに始まる(使徒17:1-3)。パウロは多くの実りを得ながらも、激しい反対に出会って、わずか三週の宣教活動でその地を後にしなくてはならなかった。十分に教育、訓練されることもなく、テサロニケの教会は取り残され、初めから厳しい迫害の中に置かれてしまうことになった(使徒17:5-9、Ⅰテサロニケ2:14-15)。パウロは、何とかしてテサロニケを再び訪問し、彼らを励まし、また教えたいと思ったようだが、その機会は与えられなかった(2:18)。そこで、パウロは弟子のテモテをアテネから遣わすのであるが(3:2-3)、テモテの報告によれば、なんとテサロニケ教会の人々は素晴らしい信仰と生き方を保っていたのである。ただ一連の教義上の質問を持っていたので、パウロは主としてその中の再臨の問題について答え、称賛と励ましを与えようとこの手紙を書き著したのである(3:6)。

まず、パウロは、テサロニケの教会について自らの印象を述べている。第一にテサロニケの教会は、神に愛された教会である。イエスが十字架によって贖いだしてくださった、教会である。そして、第二に、テサロニケの教会は、確かに神に選ばれた教会であった。普通人は、多くの宗教がある中でキリスト教を選んで信じたと考えやすい。しかし事実は、私たちが聖書の神を選ぶように、神が私たちを導いてくださったのである。

そして第三に、テサロニケの教会は、人間の働きではなく、神の働きによって建てあげられたものである。パウロは言う(5節)。テサロニケに福音を伝えたのは、パウロ、シラス、テモテであるが、福音に心を開かせ、偶像礼拝から立ち返らせたのは、神ご自身である。

もちろん、種がまかれたテサロニケの土壌もまた良かったことは否めない。彼らは、苦難の中にあるにもかかわらず、聖霊の働きに敏感であり、み言葉に心を開き、パウロの語ることを素直に受け入れ、またパウロが語る主に倣うことを大事にした(6節)。つまり、イエスが言う、よい地に蒔かれた種(マタイ13:23)そのものであった。

テサロニケの教会は、パウロの心配に及ばず神に守られて、神に導かれて成長した。しかしそれは、テサロニケの教会の一人ひとりに神を求め、神に従う心があったからである。神は真実であり、神は、一人一人の魂の必要に応えられる。そればかりではない。神が働くところに、良き評判も生じる。

テサロニケの教会の人々の信仰は、あらゆる場所に伝わり、また近隣の教会の模範となった。彼らが偶像礼拝を捨てて、唯一まことの神を信じるに至ったこと、そして、その神に仕える人生を歩み始めたこと、さらに、救い主イエスの再臨を待ち望む信仰に立っていること、それら一つ一つが評判となり広く伝えられるようになったのである。懸命に宣教努力を重ねたというのではなくて、人々が噂で、テサロニケの人々の信仰を口コミで伝播してしまった、というのである。変えられた行動を伴う信仰、日々神に仕える愛、復活と再臨への希望と忍耐、それが、人々の目に留まり、証となっている、すべて神が働いてくださった。自分が思うところを越えて、神が働いてくださった、と思えばこそ、パウロは、神に感謝の気持ちを抱かざるを得ない。まさにパウロが植えたものを、神が育ててくださった、神は生きておられることを実感する教会の歩みなのである。

神の働きに大いに期待し、神の働きに与る、そのような教会形成を進めさせていただこう。