テモテへの手紙第一4章

4章 キリストの中心性
1.偽教師に注意する(4:1-3)
パウロが、牧会者の心得として語ってきたことは、おおざっぱな言い方ですが、まずは祈り(2章)、そして牧会者としてふさわしい生活実践、ということになるでしょう。そして、教会をキリストを証しするところ、とすることです。しかし、それがなぜか、キリストではないものが教会の中心になりやすいのです。牧師がキリストの座に祭り上げられてしまったり、偽教師がキリストにとって代わったり、人は神よりも、目に見える人間に結び付いてしまいやすいのです。パウロは、最後の伝道旅行で、エペソを去る時に、そのような問題が起こりうることを警告していましたが(使徒20:28-31)、まさにその通りのことが起こっていたのでしょう。
ことにキリストにとって代わる偽教師、その問題点は何か。一つは2節、偽善でした。キリストご自身「あなたがたは実によって、彼らを見分けることができます」(マタイ7:15-20)と語られましたが、偽教師の特徴は偽善です。そして2つ目に禁欲主義です。実際彼らは、結婚や特定の食べ物を禁じました。しかしキリスト教信仰の特徴は、自由であり、恵みです。あるキリスト教系の異端とされる宗教は、誕生日を禁止し、選挙、武術を禁止、さらには輸血を禁止すると聞きます。輸血を禁止する教理のために、助かる命が助からなかったという事件もありました。キリスト教の名を借りながら、全くキリストが教えなかったことを教え、キリストにとって代わろうとする偽教師を警戒しなさい、とパウロは言うのです。
2.信徒を教育すること(4:6-16)
祈りと、生活実践、そして偽物に警戒しながら、信徒に正しい教育を施すようにパウロはテモテに勧めます。確かに、交通標識には、二種類のものがあります。たとえば落石注意など、警告する標識があります。そして、東京まで30キロなど、目標を示す標識があります。牧師は危険について警告すると同時に、正しい教理、つまり何を大事にすべきかを教える必要があるのです。そのためには、まず牧師が、聖書のことばに日々養われていることが大事でしょう。教育は日々学ぶところに成り立つというわけです。
そして、牧師自らが、偽物の教えに迷い込むような議論に熱中しないことです。7節、俗悪でぐうにもつかない作り話、当時の教師が熱中した神学的な議論のことでしょう。やるべきことは多くある中で、何に本当に自分のエネルギーと時間を注ぐか、考えたいところでしょう。パウロは、本当に大切なものを優先させなさい、つまり敬虔のために自分自身を鍛錬せよ、と言います。落ち着いた生活をするように教えるキリスト教の教師など、結局、ことば、態度、愛、信仰、純潔など、時間を注ぐべきところは、そこしかないでしょう。模範になりなさいと勧められますが、勝負している所に時間と心を使うのは当然のことです。スポーツ選手は、運動能力を限界以上に高めるように努力し、芸術家は神的なパフォーマンスを目指します。牧師は、祈りと生活実践が勝負どころでしょう。そのためには、聖書を持って自らに教え続ける、敬虔のために自らを鍛錬する、そこに時間をかけていくことが大事なのです。人を教えるために学ぶのではない、自らが向上するために学ぶ。というのも、人は誰であれ自分が到達しえない高嶺に人を連れ行くことはできないことでしょう。ペテロは「私にあるものをあなたにも与えよう」と語りました。「よく教える」ことは牧師の資質の一つですが(1テモテ3:2)、よく教えることのできる人は、よく学び、体得している人です。人を教える前に、まず自分自身の魂に配慮し、自分を教え、成長する者でありたいものです。では、今日もよき1日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「オリジナルの聖書が書かれた時に使われなかった言語はどれでしょうか?答えは④ラテン語でした。聖書は旧約聖書がヘブル語、新約聖書がギリシア語で書かれています。そして旧約聖書の一部にアラム語が使われています。では、今日の聖書クイズを一つ。旧約聖書と新約聖書、それぞれ「約」は何を意味しているでしょうか?①契約、②要約、③括約、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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