民数記33章

33章 出エジプトの経過,総括
<要約>
皆さんおはようございます。40年の旅路が記録されています。それらは、今ではどこであるかなど特定できないことがほとんどですが、大切なのは、彼らが40年かかっても、神の約束に従って、約束の地に住み着くというその大いなる目的を果たしたということでしょう。あるいは神によって助けられ果たさせていただくことができた、ということでしょう。主に信頼しつつ、主の祝福の約束を受ける歩みをさせていただきたいものです。今日も、皆さんの上に主の平安があるように。

(1)40年に渡る旅の奇跡
 33章は、総括というべきであろうか、イスラエルがエジプトのラメセスを出てから、モアブの草原に到着するまでに宿営した40カ所の旅程が、記録されている。約40年に渡る旅の軌跡であり、それは、出エジプト12-17章と民数記10-21章の要約になっている。
これらの経路は、四つに区分される。つまり①ゴシェンから紅海まで、②紅海からシナイ山まで、③シナイ山からカデシュまで、④カデシュからモアブまでである。このうち、最初と最後の二つの区分はよいとして、その間の紅海からカデシュまでの旅程は実際にはよくわかっていない。それは古代の地名は、その場所に人々が定住し続けてこそ残るものであり、荒野の住民が遊牧民であったことから、聖書時代の地名がそのまま現代までに残るのは難しかったためである。実際地名は、社会的、政治的、宗教的理由によって変わりうるし、かつてとは違う場所に残っていく場合もある。
(2)ゴシェンから紅海まで(3-8節)
イスラエルはラメセス(ゴシェン)からスコテとエタム、つまり南東に向かって旅立った。そこから彼らは「向きを変え」ピ・ハヒロテの前で宿営した。彼らは荒野に向かって真っすぐ東へ進まず、南下したのである。こうして彼らは苦湖のほとりにやってきて、天来の助けによってその湖を渡った。おそらく、古代において苦湖は、直接紅海とつながっていたと考えられ、イスラエルが渡った「海の真ん中」は、紅海そのものではなく、紅海とつながっていた苦湖であったと思われる。
(3)紅海からシナイまで(8-15節)
 紅海を渡った後の経路については、シナイの所在を巡って複数説がある。伝統的にシナイ山は、シナイ半島の南、ジェベル・ムサに位置するとされてきた。しかし、出エジプト3:18などによると、そのシナイ山は、エジプトから三日の道のりであるとされること、漁獲に適した場所なのに、民の中に魚を食べたいという不平が起こったこと(民数11:5)など種々の理由から、他の場所を考えるのが適当であるとされてきた。つまり伝統的には、シナイ半島の先端に向かってスエズ湾に沿って南下し、ジェベル・ムサからアカバ湾に沿って北上してカデシュに到達する経路が考えられてきたのだが、実際には、南下や北上はなく、ジェベル・ムーサに代わるジェベル・シン・ビッシャーを通って、カデシュに向かってそのままシナイ半島を横断する経路がとられたのではないかと考えられている。
(4)シナイ山からカデシュまで(16-36節)
民数記10:33-13:25では、主の山からパランの荒野にあるカデシュまで、タブエラ、キブロテ・ハタアワ、ハツェロテの三つの滞在地しか記録されていないが、ここでは、22の滞在地が記録されている。またスタート地点と終着地点の場所を除いて、一致しているのは、キブロテ・ハタアワとハツェロテだけである。そこで、申命記1:19で「あの大きな恐ろしい荒野」と要約されるこの旅程は、実際には速やかに移動されて(約30日間)、本章にある多くの滞在地は12部族が放浪していた38年間に宿営した場所と考えのがよい、という説もある。
(4)カデシュからモアブまで(37-49節)
カデシュの後の最初の宿営地はホル山で、古い伝承によればペトラの近くのジェベル・ハルンとされてきた。しかし実際には、その山は、カデシュに近く、そのまま真東に進んだ経路も考えられている。
ともあれ、40年の旅程は示されているが、それが現在のどの地点に相当するのかは、わかっていないし、実際に彼らがどこで紅海を渡り、どこで律法を受け、どこでマナを食べたのかも正確にはわからない。ただ、それらを考え、特定することは私たちの信仰にとって、本質的な問題ではない。ここで私たちが理解すべきことは、本来ならば2週間で移動可能な場所を40年かかった、ということであり、40年はかかったが、やり遂げたということだろう。。
そういう意味では、私たちの人生にも本来は3年で完成するはずのものが、30年かかってしまう、そんな現実がある。何もかも整っているわけではなく、手探りで物事を進めなくてはならない、ということがあったりするものだし、そのような純粋に何かを成し遂げようとする努力を、人間の罪が妨げて、時間を浪費するようなこともあるだろう。しかし、たとえそうであっても、イスラエルの民の場合は、その40年によって世代交代が進み、約束の地カナンに入るための新しい世代が育っていた。古い世代が死滅し、新しい社会のうねりを生み出す、新しい世代の力が育てられていたのである。神は、人間の歴史に介入されるが、人間の心をねじ曲げてまで歴史を変えていくことはなさらない。なるべきものがなるまでに必要な40年であったのかもしれない。人間の人生は長いようで短い、だから本当は、すみやかにあなたの憐れみを示し、みこころをなしてください、という思いを強くすることもある。しかし、私たちの思うところではなく、神のみこころがなっていくように、と祈る中にこそ、本当に人間にとって必要な何かが築かれていくのである。
まっすぐ見える道が良い道とは限らない。曲がりくねっていても、味わい深い道というものがある。浪費であり、無駄であり、機会を取りこぼしていると思うような事柄の中に、学び取らねばならぬ多くのことがあったりする。神の深いご計画を私たちは知り尽くすことができない。
(5)約束の地を征服する
ともあれ、古い世代にはエジプトを脱出する課題が、そして新しい世代には、カナンの地を征服する課題が与えられたように、私たち自身にも、「ことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像を粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである」(52,53節)と神に語られている課題がある。気力が萎えている時には、また長い浪費と無駄と機会の取りこぼしの人生の中にあると落胆するような時には、このようなことばを受け止める力もない、と思われることもあるだろう。しかし、1タラントのしもべのように、困難に怖じ気づいていたり、神を疑ったりしていては、そこに祝福はない。神が与えると言われたものを、私たちは信仰によって受け取らなくてはいけない。そして、淡々とその旅程を踏み進み、確かにその困難は克服され得たことを私たちも示さなくてはならないのである。
自分の思うところではなく、神のみこころとするところを確かにさせていただきながら、確かに自分に対する神の深い愛の配慮もあると平安と喜びに与る歩みをさせていただくことが大切だ。神が私たちに信仰を与え、私たちの道を整え、与えようとしておられるものを確かに受け取る、そのような歩みをさせていただこう。

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