エペソ人への手紙4章

最初の3章は、教理的な内容であった。中心的なテーマは、キリストにある私たちの霊的な祝福である。目に見えない霊的な豊かさを私たちは与えられている。そのことにまず気づかねばならないのだろう。そのための祈りがある。そして気づいたならば、霊的豊さに基づいて、キリストにあって一つになるという奥義を実現する目標へと向かう必要がある(3章)。そのための祈りが第二の祈りであった。そして3章の終わりには、教理篇の終止符であるかのように頌栄で終わっている。

続く4-6章では、その奥義をいかに実現しうるか、私たちの日常性にもどついて語っていく。つまり、キリストの霊的な祝福に基づいて、一致した歩みをするように(エペソ4:1-16)、聖められた歩みをするように(エペソ4:17-5:17)、家族、職場において調和した歩みをするように(エペソ5:18-6:9)、その一致の歩みに勝利をし続けるように(エペソ6:10-24)と大きく四つの事柄を勧めている。

大切なのは、1-3章を前提として、4章以降のメッセージがあることだ。霊的な祝福があればこそ、キリストに会って一つとなる奥義の実現も可能となる。そこで、パウロは、一致を守っていくことを勧める。そこで、一致について大切なことが四つある。

一致は画一性ではない。画一性というのは、人の圧力の結果として生じるが、一致は内側から、聖霊の恵みの働きとして起こっていく。そして具体的な一致のモデルとしてパウロは人間の体をとりあげる(4:16)。それぞれ異なる器官がありながら、一つとなり全体に調和している。この一致を保とうとするならば、謙遜、柔和、寛容、そして平和という四つの徳を働かせる必要がある。また、一致の土台として、7つのことに注目する必要がある。

第一に体は一つ。私たちは育ちも、身に着けてきたものも、能力も、顔かたちも皆違う。しかし、キリストの体に連なっていることで一つである。そして御霊は一つ。ただ唯一の聖霊が皆の心に内住している。キリストの再臨を望む、終末指向において一つである。第四、私たちのために再臨される主は一つ。私の主、あなたの主はない。第五、私の信仰、あなたの信仰もない、信仰は一つである。第六に一つのバプテスマ。クリスチャンが教会で共有しているのは一つのバプテスマである。そして最後にクリスチャンは一人の父を持つ神の家族である。

続いて、パウロは、そのように一致する中で、クリスチャンがそれぞれ多様であることを語る。神は私たちにそれぞれ異なる聖霊の賜物を与えてくださったのである。パウロは、すべての賜物のリストをあげてはいないが、教会の一致の基本となる賜物として使徒、預言者、伝道者、牧師の四つをあげている。また彼らの働きに導かれて成熟した教会の姿を四つあげている。第一に、キリストらしさ(13節)。第二に安定性(14節)。第三に、愛を持って真理を語れる状況。そして最後に協力(16節)である。

このような教会の完成のためには、まず「魁から始めよ」ではないが、一人ひとりがキリスト者として成熟していくことが肝要である。キリストの弟子として訓練され、キリストの身体を構成する一員にふさわしい者として整えられる必要がある。17節以下は、そんな私たち個人的なチャレンジを与えるものである。光であるキリストから直接学び(20節)、新しい生き方をしていくことである(22,23節)。信仰は、聖霊の助けにより、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりを捨て去り、心優しく、赦す人となっていく持続的な生涯をかけた歩みである(31、32節)。私たちがキリストに直接学び、絶えずキリストの関係に生きる真の弟子となるならば、キリストの教会もいよいよ完成へと導かれるのである。

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