●11章 最後の交渉(災い:⑩初子の死/家臣でて行くように願う)
1.初子の死の災い(11:1-5)
4節、「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く」とあります。今までは、モーセとアロンを介入した災いが、エジプトに下されていましたが、ここでは、主ご自身が直接さばきを下されるのです。そしてエジプトの国中の初子が、ファラオの初子から始め、女奴隷の初子、さらに家畜の初子に至るまで皆死ぬという災いが起こりました。初子は、父親の遺産を受け継ぎ、父親のいのちと力を代表するものです。更に、後継者となるものですから、神々の子として生まれてきたはずのファラオの初子の死は、ファラオがより頼むあらゆる神々の決定的な敗北を認めさせるものでした。ハニイカットという聖書学者は、これが何かの疫病の流行で、エジプト人の子どもや家畜が多く死んでしまったことが、後で、人々には「初子の死」として記憶されたものではないか、と考えています。しかし、理性的、合理的に受け入れられる解釈を取るよりは、ここは、神の裁きとして神が超自然的な力をもって初子のみを打たれた災いがあったと考えてもよいのではないでしょうか。
2.エジプトの叫び(11:6-10)
ともあれ、こうしてエジプト全土にわたって大きな叫びが起こり、これまでエジプトにはなかった大きな悲しみの時となったのです。かつてイスラエルは、労役によって搾取され、苦しみうめき、叫びましたが、神は正しいお方、イスラエルの仇をとったわけです。かつてイスラエルはエジプトからの解放を求めて神に叫びました(2:23)。それは、空しい叫びのように思われるものでした。しかし今や神は、確かにイスラエルの叫びに応えて、エジプトからイスラエルを区別し、正しい裁きをなされたのです。今叫んでいるのはエジプト人たちでした(6節)。後に神は、「もしあなたが確かにその声に聞き従い、 わたしが告げることをみな行うなら、 わたしはあなたの敵には敵となり、 あなたの仇には仇となる(出エジプト記23:22)」と言いました。神は正しいことをなさるお方です。現実的に考えて、自分の仇を討ってくれる者など誰もいない、と思えることがあっても、また、自分は虐げられたとおりに、空しく、自分の愚かさ、馬鹿さ加減を笑いながら、何とも抗しがたい、時代の流れの中で、ただ朽ち果てるのみである、と思わされることがあっても、信じることです。神を、義の審判者であり、裁き主である、と正しく仰ぐことです。主の前に空しい訴えなどありません。
ところで聖書には、神が再び地上に直接介入された物語があります。イエスの物語ですが、イエスははっきりと語っています。人がご自分のことばを聴いて守らなくても裁かない、と(ヨハネ12:47)。イエスの関心は、守らない人ではなくて、守る人に向けられています。守る人を救おうとしています。これは、旧約と新約の違いなのか。そうではないのでしょう。旧約においても、この出エジプトにおいても、神はご自身を恐れ、ご自身の言葉を守る者へと関心を向けられています。神はご自身の言葉を守り、従ったノアとノアの家族を守られたように。また、このエジプトの物語でも、後で見るように、神を恐れ、かもいと二本の門柱に羊の血を塗った者だけが、災いから守られることが起こっています。エジプトとイスラエルを区別したのは、神を恐れ、神のことばを守る者とそうでない者の存在であり、神はご自身を恐れて、ご自身の言葉に従おうとする者を見過ごされなかった、ということです。
世が終末とその滅びに向かっていることは、誰の目にも明らかなことです。しかしそのような中で、神は恐れる者、神を呼び求める者、力なく神に希望を向ける者を決して見過ごされることはありません。たとえ見かけは同じであっても、神は心を見られるお方です。クリスチャンとしてやることなすことは同じであっても、その中身は違うことがあるものです。共に礼拝において賛美をしながら、賛美の歌声は同じであっても、その心が違うのです。神は心を見られるお方なのですから、神は同じような体裁を見ているのではなく、それぞれの心を見ておられるのです。神は心を区別し、これに報いられるお方なのです。すべて正しいことをなされる神を恐れて歩みたいところです。では今日もよき一日であるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「イスラエル人については、へブル人、ユダヤ人と種々の呼び名がありますが、へブル人は何を意味しましたか?」答えは、「(向うから)渡ってきた人」です。つまりそれは、ウルを出発して、ユーフラテス川を渡り、カナンの地にやってきたアブラハムを指す呼び名でした(創世記14:13)。では、今日の聖書クイズを一つ。初子、つまり長子は、父親の最初の実として、家長の権威と責任を受け継ぐ者でした。そのほか、イスラエル人は、長子をどのような存在として考えたでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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