●12章 最後の夜,脱出
1.出エジプトの時間の流れ(12:1-2)
ナイル川の水が血に変わる一番目の災いが起こったのは、8月頃と考えられています。というのも、それは、川底から出た細かい赤土で川が汚染される現象で、洪水の起こりやすい8月頃の出来事と考えられているからです。また7番目の雹の災害が起こったのは、1月末か2月の初めと考えられています。大麦の収穫は4-6月で、大麦が打ち倒された時に、スペルト小麦はまだ生長していなかった、と語られているからです(出エジプト9:31-32)。その後のいなごの大群はおそらく3月頃。9番目の暗闇は、ハムシンとして知られている砂嵐とすれば、それも3月頃です(出エジプト10:23)。こうして2節「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ」というのは、3月となり、イスラエルではアビブ、又はニサン(出立)と呼ばれる月になります。それは、ちょうど後の雨(申命11:14)が降り、レバノン山の雪解けのためヨルダン川が増水(ヨシュア3:15)する時で、大麦の収穫が始まり、小麦の穂が出る季節となります。この10日、すなわち、現在の太陽暦では3月14日に出エジプトが起こった、とすれば、モーセがファラオと格闘し、出エジプトを実現させるまでに、約7、8ヶ月かかったことになるのです。
2.出発の準備(12:3-36)
神は、14日の夕暮れ、つまり日が涼しくなる3時頃から日没までの間に、選ばれた傷のない一歳の雄の子羊を屠るように命じられました。血は、ヒソプで家の門柱と鴨居に塗られました。家の門柱と鴨居に塗られた血は、すべての初子を打ち、エジプトの神々に裁きを下す主が、イスラエル人をエジプト人から区別し、通り越すしるしでした。つまり神を恐れ、神に語られたことに従う者を「区別」し、「保護」するためのものでした。イエス・キリストの救いの予表とされるのはそのためです。
肉は火で焼かれ、種を入れないパンと苦菜を添えて食し、朝まで残ったものは火で焼かれました。パン種を入れないのは、悪意と不正(1コリント5:7、8)をその身から除き、純潔を保つこと、苦菜は、悔い改めを象徴します。また食べる時には出発の準備として急いで食べなくてはなりませんでした。そのため、種を入れないパンは、「悩みのパン」とも呼ばれたのです(申命16:13)。
3.出発(12:37-51)
その日の真夜中、10番目の災いが起こりました。今までは様々な災いについて報告を受けるだけであったファラオも、ついに、神の災いを身に被る、つまり後継者である自分の初子を失う事態に直面するのです。こうしてファラオは、ついにイスラエル人の出国を命じ、また、エジプトの民も、イスラエルの人々をせき立てて追い出すのです。
イスラエル人はラメセスからスコテに向かいました(37節)。ティムサ湖の西17キロにある、現在のテル・エル・マスクータがそうではないかとされています。男子約60万人。女子供を含めると約200~250万人程度の大移動でした。この数の正当性については、書写の間違いである、多数を表す象徴的な数に過ぎない、ヘブル語語法の特殊な数え方であるなど、聖書学者の間で多くの議論がなされてきましたが、結論は出ていません。またイスラエルがエジプトに滞在していた期間は40節、430年とされていますが、創世記では400年とされ(15:13)、非常にアバウトな書き方です。正確な数値そのものを書き記したものではなく、一定期間を意味する数値として受け止めるべきなのでしょう。43節以降は、過ぎ越しに関する補足的な教えになりますが、おそらく出エジプトにあたり、オリジナルのへブル人に、多くの外国人が入り混じって一緒に脱出する事態が起こったために書き加えられたとされています。つまり割礼が、イスラエルと呼ばれる人々の輪に入れられるしるしとなったということです。
ともあれ、過ぎ越しは、一つの頂点として描かれています。そしてイスラエルは、この日を記念とし、代々にこれを伝えるように教えられています。過ぎ越しは、今日のイスラエル人にとっても、最もにぎやかな年中行事ですが、それは、こうしてもともと神の民としての新しい歩みの始まりを意味しました。これは昔話でありながら、神が永遠に生きておられる方であるという信仰に立つならば、私たちの人生にも、新しい旅立ちはあると信ずべきことになるのでしょう。そして、大切なのは、私たちを大きなあわれみをもって、またその力強い御手によって、約束の地、祝福の地へと、私たちを招き入れる神に対する私たちの応答です。その力に与ろうと、神のことばを受け入れ、従う私たちの応答なのです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「初子、つまり長子は、父親の最初の実として、家長の権威と責任を受け継ぐ者でした。そのほか、イスラエル人は、長子をどのような存在として考えたでしょうか?」答えは、初子は神のものとして聖別され、ささげられるものであった、ということです(出エジプト13:2、12)。そのような意味を持ったので、初子が生まれると人間に代って動物がいけにえとされました(出エジプト13:13、15)。では、今日の聖書クイズを一つ。過ぎ越しの祭りと言えば、その食事は出エジプト記では、子羊の肉と種なしパンと苦菜とされていますが、イエスの時代に至るまで新たに加えられた要素は何でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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