エステル記2章

2章 エステルの選出

<要約>

おはようございます。人間は忘れても、神は忘れない、神は誠実なお方であり、私たちのそれぞれの行いに応じて報いてくださるお方です。神がそのような方であればこそ、希望があります。神に信頼し、今日も小さな歩みを進めさせていただきましょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.新しい王妃選び

新改訳第三版では「この出来事の後」であったが、2017では、原文の複数形どおり「これらの出来事の後」となっている。つまり、単にワシュティの出来事だけではない。恐らくクセルクセスのギリシヤ侵攻の失敗も含まれているのだろう。落胆した王は、ワシュティに未練を感じ始めていた。しかし、ワシュティ復活は、側近たちの身の危険を感じさせるものであった。彼らは、新しい王妃の選出を提案した。そして多くの美しい女性が集められた。

6節、「このキシュは」原文では「彼」という関係代名詞である。新共同訳は「この人は」となっている。ただ、「この人は」と訳すと、キシュの曾孫のモルデカイを連想してしまいやすい。そうなると、「彼」は捕囚期の人であるから、モルデカイの年齢は少なくとも120歳近くなってしまい、おそらくエステルも70近い女性になるだろう。そこで新改訳は、「彼」を「キシュ」と解説的に訳している。こうしてモルデカイとエステルはいとこ同士であると同時に養父と養女の関係にあったことがわかる。

さてそのエステルもまた王妃候補として王のもとに召されていく。モルデカイはエステルにユダヤ人であることを明かさないように命じている。それは、出所を謎にして関心を高めたとか、あるいは逆に身の安全を確保し、素性がわからないことで王妃候補から外されることを求めたとか。あるいは意図もなく、ただ神の啓示によるものだとする説もある。ともあれ、エステルは王妃の有力候補とされていく。エステルはヘガイの好意を得、親身に世話をされた。そこには神の見えざる手の導きがあったのだろう。エステルも、実に素直に物事を受け入れていく。王の好みをよく知るヘガイが勧めるもの以外は一切要求しない。こうして彼女は好意的に扱われ、格別に王の好意を受け、王妃となった。テベテの月は、現在の12から1月にあたる。

  1. 忘れられたモルデカイの貢献

19節、王妃エステルが決定した後に再び娘たちが集められた。王がエステルに満足せず、もう一度王妃選びをしたという説、エステルに身元を明かさせるために彼女の嫉妬心を掻き立てるためにわざとしたという説、理由はよくわからない。ただ、その時王の暗殺計画が持ち上がり、これがモルデカイの名で王に伝えられることになる。反逆者は速やかに処罰されるのであるが、モルデカイの処遇は、記録にとどめられただけで終わってしまう。しかしこれが後の大どんでん返しの、鍵となる。

人間は物事を忘れてしまうものであるが、神はそうではない。神の忠実さ、真実さは常に心に留めるべきことである。神は人間が小さなことと片づけてしまうようなことを、覚えておられる。モルデカイはこの時、即座に何かの報酬を受けたわけではない。それは記録には留められたが忘れ去られてしまった。しかし神は、それが思い起こされるちょうどよい時を選んでくださった。神のなさることは時にかなって美しいのである。だから、自らの不遇を悪戯に悲しんだりせず、いつでも、自分に与えられている務めを忠実に果たしたいものである。すべてを神に委ねて、淡々と歩ませていただこう。神がちょうどよい時に、私たちの労に報いてくださるのだから。

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