36章 神のことばは失われない
おはようございます。36章は、25章のメッセージが語られた事情を伝えています。バビロンの侵略がまさに現実的な脅威に感じられる状況で、それが起こると語られることは、誰にとっても受け入れがたいものでしょう。しかし、神の熱心さがそこにあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.25章と36章、神の裁きの言葉とその背景
既に、25章において語られたエレミヤのメッセージの背景を知る部分です。神は、エホヤキム王の第4年(BC604年)、ヨシヤの時代(BC627年)から約23年にわたって啓示されてきた神のことばを書き起こすように命じられました。エレミヤは、書記のバルクにそれを書き取らせています。おそらくパピルス紙が用いられたのでしょう。獣皮紙は小刀で裂くのは難しく、焼却の際には異臭を放ち耐えられなかった、と考えられるからです。また通常巻物は、横20㎝、縦30㎝くらいの長方形のパピルス紙を、横に5~6mの長さに貼り合わせて作られたものでした。
さて翌年、王から民に断食が布告されています。というのも、バビロン軍がペリシテの平野にあるアシュケロンを打ち破ったので、国家存亡の危機に直面していたためです。その時、バルクは書記シャファンの子ゲマルヤの部屋でこれを民に向かって読み上げました。彼の部屋は、神殿の高い位置にあって、多くの人々に読んで聞かせるには好都合だったのでしょう。またゲマルヤはエレミヤの命を助けたシャファンの子アヒカムの兄弟と思われるので、出入りしやすい場所でもありました(26:24)。バビロン侵略の現実的な脅威の中で、バビロンによるエルサレムの壊滅が、神の裁きとして起こることが宣言されたのです(25章)。
2.
するとそこに、預言者ウリヤを捕えるためにエジプトに遣わされたアクボルの子エルナタンがいました(26:20-23)。彼はここでは、巻物を焼かないように王に願う勇敢な三人の中に名を連ねています(25節)。彼が連れ戻したウリヤは、王に処刑されてしまいました。その経験のためであったのかもしれませんが、首長たちはエレミヤたちを守ろうとして動いています。しかし実際に彼らを隠し助け出されたのは、主ご自身でした(26節)。
王がついていた「冬の家の座」(22節)は、王宮の中でも日当たりのよい、暖炉のある暖かい部屋という意味でしょう。王はバルクの巻物を取り寄せると、それが数段読み上げられるごとに切り裂き、暖炉の火にくべてしまったとあります。王に、神への恐れはありませんでした。しかし、たとえ巻物が燃やされても、神の言葉は失われません。神は、再びご自身のことばを書き記すよう、エレミヤに命じられています。エホヤキムの死について聖書は詳しく語っていません。マタイの福音書の系図にも彼の名は出てきません。
神のことばは、巻物としての形を失っても、語られたとおりに成就しました。神のみことばに間違いはありません。しばしそれは受け入れがたいことばとして、私たちの心を刺し貫くことがあるかもしれません。けれども、繰り返し語られる神のことばに悟りを得、知恵を深めて、信仰と生活の規範として、日々聴き従って歩みたいものです。