37章 神の意思は変わらない
おはようございます。37-44章までは、エレミヤの苦難の日々の記録です。エレミヤは逮捕され、投獄されていきます。しかし、エルサレムを滅ぼす神の意思が変わらないように、エレミヤも「あなたと共にいて助ける」と語る神の変わらない意思に支えられていきます。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.捕らえられたエレミヤ
バビロン軍は、エルサレムの包囲を一時的に解いて退却しました(34章)。というのも、エジプトからの援軍がエルサレムに近づいていたためです。この時のエジプトの王は、BC589-570年まで統治したホフラであろうと考えられています。
町が解放されると、エレミヤは、ハナメルから手に入れた土地を見るために、エルサレムの外へと出かけようとしました(32:1-24)。ところがその行為は、カルデヤ人に投降するものと誤解され、エレミヤは逮捕され、丸天井の地下牢に押し込められてしまいます。恐らく地下牢は、貯水槽のことで、囚人を閉じ込めておくために一時的に用いられたものなのでしょう。ともあれ、エレミヤが長く閉じ込められていた間に、情勢が変化しました。理由はわかりませんが、エジプトの王ファラオは、戦いを交えずに退却し、バビロン軍が再びエルサレムに舞い戻ってきたのです。エレミヤが預言したとおりとなりました(8節)。
そこでゼデキヤが人を遣わし、彼を召しよせ、再び、神が何と語っているのかを尋ねます(17節)。ゼデキヤはエホヤキムと違い、エレミヤを真っ向から拒否はしませんでした(36:24)。むしろ、彼は神のことばを聞こうとしました。しかし彼はただ聞くだけで、因循姑息な態度を捨てようとはしなかったのです。それは、神のことばを否定するエホヤキムと同じようなものでした。イエスは、種まきのたとえを話されましたが、神のことばを求めるならば、聞くだけではなく受け入れて従うことが大切なのです(マルコ4:20)。
2.エレミヤの守り
エレミヤは言います。たとえイスラエルがカルデヤの全軍勢を打って、重傷を負わせたとしても、神がエルサレムを滅ぼす意思は変わらないと(10節)。エレミヤは人間的に政治情勢を読んで、預言したわけではありません。神の意思を語り伝えたのです。人間の社会にご自身の意思を成し遂げる、神の存在を明らかにしたのです。
エレミヤは、事態が神のことばどおりに動いていることを指摘しました(19節)。ゼデキヤもそれを認めざるを得なかったのでしょう。エレミヤを地下牢から監視の庭、つまり宮殿内の営倉に移し、そこで一定の食事を与え、ひとまずエレミヤをキープしておくのです。
エレミヤは、神のことばを伝える預言者でしたが、彼にとっても、神のことばを受け入れ従うことは、容易ならざることであったでしょう。それは、「わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出す(1:19)」と語る神が、まことにおられるからこそできることでした。エレミヤも神の約束にしがみついて、神がゼデキヤを通して助けてくれることを経験していくのです。エレミヤの大胆な働きも、神の意思に服従する結果によるものでした。不信仰は人を滅ぼします。神のことばを求めるなら、語られたことに従う歩みをしたいものです。