39章 エルサレム陥落とそれぞれの運命
おはようございます。エレミヤの警告通りにエルサレムはバビロン軍に破壊されました。そしてゼデキヤ、エレミヤ、また彼を助けたクシュ人エベデ・メレクのそれぞれの運命が語られます。ここから神は常に最善をなさるお方であることを、悟りとしたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.エルサレム陥落
エルサレムの陥落と、ゼデキヤ王の処罰が語られています。「中央の門」(3節)は、おそらく現在の「黄金門」、つまりオリーブ山に面する神殿の東の門と考えられています。ここにネブカドネツァルの本陣が置かれ、ゼデキヤ王は、その動向を見ながら、南の端、糞の門から逃亡したと思われます。しかし彼はそのバビロンの包囲網から逃れることができませんでした(4節)。
これまで神は、エレミヤを通して繰り返し降伏の道を選ぶように語って来られましたが、昨日も見たように、彼には、神のことばに信頼し決断する勇気がありませんでした。確かに、日本の歴史においてもその昔、敗戦色濃い状況の中で、指導者たちがなかなか降伏を決断できなかったように、それは難しい決断だったのでしょう。しかし、当時のユダヤには、神のことばを語る預言者の声がありました。神を信頼することによって、「幸せになり、生きながらえる」可能性を語る声がありました。今の日本に必要なのも、この預言者の声、神に信頼することにより、あなたは幸せになり、あなたのたましいは生きながらえる、と語る者の声でしょう。地上に望みはなくても、天を見上げるならば、そこには救いと希望があるのです。
2.ゼデキヤ、エレミヤ、エベデ・メレクの結末
エレミヤの警告に耳を貸さなかったゼデキヤは、警告通りの悲惨な結末を迎えました。他方、エレミヤと、彼を助けたクシュ人エベデ・メレク(38:7-13)は、神の恵みを得るのです。ここでエレミヤは新鋭隊長のネブザルアダンによって解放されています。しかし40章では、エレミヤは、ラマで釈放されたとあります(40:1)。おそらくエレミヤは、エルサレムで捕囚民と町に残される者の選別の際に、間違って捕囚民のグループに入れられたのでしょう。そしてラマに捕囚民が集められた時にその間違いが発覚し、ネブザルアダンに直接引き合わされて釈放されたと考えられています。ともあれ、彼の働きは人間的に見れば失敗でした。ゼデキヤは彼の言葉を受け入れなかったからです。しかし、神はエレミヤの働きの成果よりも忠実さに、いのちの戦勝品という報いを与えられました。それは戦禍の中にあっては最高の報いと言うべきでしょう。神は常に最善をなさるお方です。
ちなみになぜエレミヤは、ネブカドネツァルの厚意をうけることになったのか。それは、すでに多くの逃亡者がエレミヤの存在をネブカドネツァルに伝えたため、という説もありますが、彼自身が、エルサレム攻略前に、ダニエルの夢の解き明かしによってイスラエルの神を認めていたことを覚える必要もあります(ダニエル4章)。人生において、全世界を治められる主を信頼する、これに優る知恵はありません。