エレミヤ書40章

40章 エレミヤの解放と決断

おはようございます。解放されたエレミヤは、残された貧しい民と共に、イスラエルに残ることを決断していきます。しかしそれは、単純なことではなく、まさに神の民とともに苦しむことを選び取る選択肢であったと言えます。信仰があればこそ選択しうる道でした。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.エレミヤの選択

バビロンによってエルサレムが占領され、多くの者が捕虜として連れ去られましたが、ユダの地に残された者たちもいました。彼らは、ヘブル語でウミダラト、つまりその地で最も貧しい者と、比較級で表現される者たちでした。バビロンにとっては用無しの者だったのです。こうして彼らは、ヘブル人(「先祖アブラハムは他国から渡って来た者」の意」から、ユダヤ人(「ユダに残された者の意」)と蔑称で呼ばれるようになるのです。

保釈されたエレミヤは、三つの選択肢を与えられています。バビロンへ行くのか、残された民たちとこの地に住むのか、あるいは、全く一人解放されていずこに消え去るのか(4、5節)。答えを出しかねていたエレミヤに、ネブザルアダンは、バビロンへ行く選択肢を取り消します。最終的にエレミヤはこの地に残る決意をしますが、おそらく、そこにはエレミヤのいのちを助けたシャファンの子アヒカムに対する恩義もあったのでしょう(26:24)。アヒカムの子ゲダルヤが総督任じられたのです。彼の信仰者としての物事の判断は、極めて良識的であったのではないでしょうか。屑のごとく棄てられた人々にも、この年若き総督にも、必要なのは神のことばでした。預言者としてしか生きようのない彼にとって、彼らを神のことばによって助け、支えることは自然な選択でした。

2.新政府

残された民は、焦土と化したエルサレムを捨ててミツパへと移動します。バビロン軍が行軍した経路を地図で辿ってみると、ミツパは戦禍を免れていたようです。またそこは、かつてサウルがイスラエルの初代の王に任じられた地(1サムエル10:17)、アサ王の時代に要塞化されていました(1列王15:16-22)。まさにイスラエルの再興が期待できる地でもあったのです。

ゲダルヤは、民に征服者バビロンに仕えて日常性を回復するように勧めます。これは、基本的にエレミヤのメッセージの繰り返しです。彼がエレミヤの影響を受けていたことに間違いはありません。ただ彼がどれほど、エレミヤを参謀とし、新しい国を神のみことばの上に建てようとしたのかは不明です。とりあえずユダヤは、再び収穫を得、平和を取り戻していきます。しかし、社会秩序は未だに混沌としていました。王族のイシュマエルが再起を狙って謀反を画策していました。背後には、これを後押しする反バビロン勢力の急先鋒であるアモン人の王バアリスの動きもありました。ゲダルヤは、密告してくれたヨハナンに耳を貸さず、それはやがて彼の命取りとなっていきます。モーセのごとく、「神の民とともに苦しむことを選び取る」(ヘブル11:25)現実がそこにあります。しかし、与えられた神のことばへの信仰に立てばこそ、その現実の中に生き抜くこともできるのです。