3章 サタンの訴えにおびえず
クリスマスおめでとうございます。不思議にも聖書通読はタイムリーに進み、キリストの最も重要な贖罪の預言の箇所となりました。キリストのご降誕が喜ばしい理由がここにあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.第四の幻、サタンの告発
大祭司ヨシュアに対する裁判の幻が描かれています。主の法廷の前に立つヨシュアを、サタンが告発しようとしているのです。もし、神がここでサタンの声に耳を傾けていたのなら、大祭司ヨシュアの運命はヨブと同じものとなったのかもしれません(ヨブ記2章)。しかし、神は、先手を打ってサタンが訴える前に、サタンを咎めるのです。その理由は二つ。一つは、ヨシュアが選ばれた者であるということ。神は、ご自身が愛する者に、サタンが手を出すことを許されないのです。また、さらにヨシュアは「火から取り出した燃えさし」であると言います(2節)。これがどうもよくわかりません。ただこれを祭儀的な儀式と絡めて考えると、火から取り出した燃えさしは、祭儀的な火を絶やさないため、あるいは、別の場所に火を移すために使われることがありました。つまり、ヨシュアは、バビロンで絶えることなく燃やされていたイスラエルの信仰から取り出され、エルサレムにその信仰を移植する存在、つまり燃えさしのようなもので、そうであればこそ、この者に関わり、その使命を妨げてはならない、とサタンを戒められたのです。
2.ヨシュアに与えられた使命
3節、フォーカスは、サタンからヨシュアに向けられます。ヨシュアは、汚れた服を着ていました。神の使命を担うには、おおよそふさわしくない姿であったのでしょう。これを象徴的に解釈して、ヨシュアがふさわしくない妻たちをめとっていたとか、異教の国バビロンにいたので、異教の汚れに染まっていたと理解する説もありますが、単純に、意識、姿勢すべてにおいて神の高く聖い使命を担うには不十分であった、と言うことなのでしょう。ヨシュアは、汚れた服を脱がされ、新しい礼服を着せられ、頭にはターバンをかぶらせられています。神は、ヨシュアに神の家を治めさせるため、自らヨシュアを整えられるのです。
大事な点です。人が神の法廷の前に立ち、サタンに告発されそうになるなら、神は真っ先にサタンの口を封じ、咎め、サタンを退けられます。そして、神の使命を担うには、全く足りない者であっても、神ご自身から、その働きを担うにふさわしい、礼服ときよいターバンが与えられます。ヨハネは黙示録の中で、天上の神の前で白い衣を着せられた人たちのことを語っています。私たちはやがて天上で神にお仕えするのですが、今この地上においても、教会に仕えるため、古い罪を脱ぎ捨てて、キリストの義の衣を着せられています(コロサイ3:9、10)。それはすべて神のめぐみ、神の備えによるものです。
8節「わたしのしもべ、若枝」、9節「ヨシュアの前に置いた石」はイエス・キリストのことで、メシヤ預言となっています。七は、聖書では完全数ですから、「七つの目」は、完全な監視、配慮を、「文字を彫る」は、イエスの苦難を意味しています。つまりここは、「その国の不義を一日のうちに取り除く(9節)」贖罪の預言となっています。すべては神の恵み、この神の恵みに寄り頼む者にサタンが付け入る隙はありません。