ダニエル書10章

10章:第四の幻1(ダニエルと御使い)

おはようございます。10章は、バビロン捕囚帰還後の出来事を伝えています。ヨハネの黙示録1章を連想するような内容ですが、大事なのは神の愛の支配を語るその使信です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.天上の事柄

ペルシアの王キュロスの第三年(BC538 年)、つまりユダヤ人がパレスチナに帰還した2年後のことです。ダニエルは、ゼルバベルに率いられてエルサレムへ帰っていく第一次帰還民には加わらず、バビロンに残っていました。そして、本章以降に記された大きな幻を見る形で神の啓示を受けました(1節)。

第一の月の24日(4節)、というのは、第一の月の14日に過ぎ越しの祭、それから、1週間種を入れないパンの祭が続いたので、それらの祭の直後という意味です。荘厳な姿をした「一人の人」については、受肉前のキリスト、神に遣わされた天使、と種々の解釈があります。しかし、この箇所を一読、黙示録1:12-16を連想させる点からすれば、キリストと理解するのがよいのでしょう。

伝えられたメッセージは単純です。その人は、ミカエルと共にペルシアの君やギリシアの君と戦い、到来が送れたと言います。ペルシアの君やギリシアの君は、それぞれの守護天使を意味しているのでしょう。つまり、天上での霊的な戦いがあることを意味しています。大切なのは、この地上の王国の滅亡が、天上のこと、つまり霊の戦いとして語られている点です。人は、聖書の言葉を読み、祈りもしますが、結局は、目先の世界で物事を考えています。あの人、この人のせいで物事がうまくいかない、と。しかし実はあの人、この人の背後があるわけです。確かにヨブ記を読むと、ヨブは、自分の身の不幸が、神とサタンの議論で、つまり天上に起因することなど全く思い当たらずに、ただ自分に非があるか否かで苦悩しているのです。パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗やみの世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6:12)と語っていますが、まさにこの世の色々な問題以上に、霊的な天上での問題が、私たちを苦しめていることがある、と考える必要があるのでしょう。

2.安心せよ。強くあれ

そのように考えるからこそ、クリスチャンには祈りが大事なのです。そしてダニエルのように、神に「特別に愛されている」(11節)ということも意味が出てくるのです。やはり人生には、人間の力ではどうにもならない、ということがあるものです。人類のベストを尽くしながら、神のあわれみにすがる他、何かの魔力的な力を払拭することができない、というものがあるでしょう。コロナ禍に対峙し戦っている人も、人類の知の戦いだ、と思いつつ、やはり、「特別に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ」(19節)と語られることをよしとする瞬間はあるものでしょう。人類が何を発見し、発明したとしても、素直に神の恵みを認める、謙虚な心を持ちたいところではないでしょうか。そして、今日も、神の恵みが、我が家族に、同僚に、友人・知人に豊かにあるようにと祈りましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です