テサロニケ人への手紙第一4章

1テサロニケ人への手紙4章 キリストの命に生きる
1.これまでの流れ
テサロニケ人への手紙第一には、流れがあります。全部で五章ありますが、実に綺麗に各章が主の再臨に関連することばで終っています。つまり来るべきクライマックスに心が向けられるようにまとめられているのです。それは、パウロが、すべて未来、つまり終末との関連で物事を教えようとした試みですね。
さて復習になりますが、初めの三章は回想です。1章は、パウロの福音がテサロニケにもたらされ、そこで確かに一つの教会が建て上げられ、良き評判となっていることを感謝しています。彼らは真に福音の「力」を味わい、人手によらず、神の御手に守られて人々の注目するような教会へと建てあげられていました。導入的な内容ですね。そして2章は、実際にどのようにテサロニケの教会が建て上げられたのか、パウロとテサロニケの人々の関わりが回想されていますね。3章は、その後テサロニケの教会がどのように守られたのか、神の守りを共に覚えるもの、パウロの心配も取りこし苦労であったことを思い起こすものでした。いずれも再臨の希望のことばで締めくくられています。
そこで4章からは、続けて神に喜ばれる歩みをしていくための実際的な勧めへと話題が転換していきます。これはパウロ特有の書き方ですね。最初の3章は教理的、残る2章は実戦的な内容という書き方です。
2.実際的な勧め(4:1-18)
1節「お願いし、また勧めます」、パウロは、神に喜ばれる歩みがどのようなものなのか、を語り始めます。三つあります。
第一に、3節、神の聖さに近付くことです。テサロニケの町は種々雑多な民族が混じり合い、集まり合う、文化的に多様な町でした。ユダヤ人の目から見れば、それは情欲に溺れた、異邦人の町というべきものであったのです。また当時は、離婚が容易になされ、結婚の秩序が軽んじられる時代でもありました。4節は、「各自、自分の妻を清く尊く保ち」とも訳しうる箇所です。8節、「神を拒む」は、横に置くが直訳で、無視するとも訳されます。つまり神を脇に置いて無視するのです。聖さにあずからせようとしている神の目的の中に生きていることを弁えよ、ということでしょう。
 第二に9節、パウロは愛の内に歩むようにと勧める。聖さの内に歩むなら、必然的に関係も大事にされるのです。しかし、聖さを求めることが人を裁く方向に向かう人もいます。聖さは、愛をもって熟成される必要があるのです。
第三に11節、パウロは、忠実に自分の務めを果たすように勧めます。今手にある仕事をしっかりするように、ということでしょう。空想的な人生は歩まないことです。
最後に、パウロは、テサロニケ人たちに生じていた再臨についての誤解を修正しようとしています。テサロニケの人々は、再臨、つまりイエスが天から戻って来られる出来事が、自分たちの生きている間に起こると信じていたようですね。その場合、再臨が来る前に死んでしまった人たちは、どうなるのか、と気にしていたのです。しかし、パウロは言います。既に死んでしまった人々は、イエスが天からお戻りになる時に、一緒に来るのだ、と(14節)。その時、天からの号令によって人々の復活が起こり、御使いのかしらの声によって人々が集められ、そして神のラッパが響き渡って、イエスご自身が天からくだってくる、と。そして私たちは、既に死んだ人々と再び一緒になり、永遠の御国に入るのだというわけです。いささか絵画的なイメージで語られていますが、この終末の教えこそ、教会にとっては重要な希望ですね。イエスに罪赦された歩みをした者たちは、再び懐かしい人々とお会いする。そして永遠の祝福に入るのです。では今日も良い一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「パウロが書いた手紙の中で、復活や再臨、終末についての教理を明確に語ることを特徴としているものは、次のうちどれでしょうか?答えは①テサロニケ人への手紙第一でした。では、今日の聖書クイズを一つ、聖書は復活についてどのように語っているでしょうか。①正しい人だけが復活する、②正しい人も悪い人も皆復活する。答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です