テモテへの手紙第一1章

Ⅰテモテへの手紙1章 牧会者パウロとテモテ
1.恵みとあわれみと平安(1:1-2)
パウロがテモテに個人的に書いた書簡です。彼らはもう何年も同労者として共に働いてきた間柄です。それなのにパウロは、自分がどのように使徒となったのか、冒頭で述べているのです。「救い主」と訳された言葉は、当時、ローマ皇帝を指すものとして使われました。それはローマ皇帝が究極の問題解決者であったからです。しかし、パウロは、聖書の神こそがその称号を得るにふさわしいと考えていました。最も信頼のおける救い主は、神ご自身である、と。またキリストは望みであると言います。確かにキリストは、十字架の苦難を耐え、死に勝利し、復活のいのちを明らかにしました。キリストは望みです。自分は、その神とキリストの任命による使徒、つまり、神の国からこの世へ遣わされた大使として、国王キリストの挨拶を伝えている、と言うのです。恵みとあわれみと平安とがあるように、と。恵は、受けるに値しない者に与えられるもの、あわれみは、神の好意、困っている時に与えられる助けです。平安は、イエスが、長血を患った女に語られたことば「安心して行きなさい」を思い浮かべさせるものです。ここで大切なのは、パウロは、テモテに励ましを与えようとしているのですが、それを自分の陳腐なことばでしようとせず、自分の主であり、テモテの主でもあるキリストに目を向けさせ、キリストの励ましを得させようとしていることです。私たちはとかく、人を励ましたがるものですが、真に人を励ますものは、霊感された神の言葉を置いて他にありません。
2.テモテへのアドバイス(1:3-20)
さてテモテへの手紙は、牧会書簡とも呼ばれます。つまりそれは、牧会という働きについて、色々と個人的なアドバイスを書いたものです。そこで3節、パウロは、テモテが直面していたと思われる牧会上の問題について、どのように対応すべきか、書き起こしていくのです。一つは、「作り話と系図」を特徴とする偽りの教えに対するものです(4節)。信仰は理性を軽んじることはありませんが、それは最終的に「愛」を目標とするものです。キリストのしもべとしてキリストの十字架愛に成熟すること、これが信仰の究極的な目的です。その的を外してはいけない。聖書によって、しっかりその目的に信徒を向けていきなさい、と。ただ当時、聖書と言えば、旧約聖書が基本で、その中心は律法でした。けれども、ガラテヤ書でも学んだように、キリスト者にとって大事なのは、律法よりも福音、キリストにある十字架の罪の赦し、愛を教えることでした。それなのに、敢えて律法を取り上げるパウロ。その意図は何か。8節、律法は適切に用いるとよい。つまり律法は、様々な行為の違反を示す。そして、違反を示された人は、自分が救いを必要としていることを理解し、救い主イエス、つまり福音を求めるようになる。律法を正しく用いれば、神の恵みによる救いを求める、正しいキリスト教信仰へと私たちをみちびくのだ、というわけです。
ですから、12節以降、パウロは自分の経験を述べていますね。律法によって、自分がいかに神の救いを必要とする罪深い人間であるか、つまり罪人の一人というよりも、極悪人、罪人のかしらというべきものだ、と理解できた、と。けれどもそんな私に、キリストイエスは、深い愛を示してくださった。本当は神に滅ぼされるような人間であったのに、自分が罪人であることを自覚し、困惑している私に助けと救いの手を差し伸べてくださったのだというのです。この福音の教えから離れてはいけない、というわけです。
そして18節、テモテよ、信仰と健全な良心を保ち、その異端的な教えに踏みにじられてはいけない、というわけです。教会に何か波風が立つ時、信仰の本筋にいつも立ち続けるようでありたいものです。では、今日もよき一日であるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「反キリスト」という言い方の「反」は何を意味しているでしょうか?」答えは、③でした。ギリシア語の接頭辞「反」には、反逆する、とって代わる、二つの意味があります。つまり反キリストは、キリストに反逆するのみならず、キリストに代わって礼拝されることを望む者です(イザヤ14:14、ルカ4:5-8)。では、今日の聖書クイズを一つ。パウロはテモテをしばしば自分の手紙の協働執筆者としています。ではパウロ書簡の13通の内、何通までがテモテとの共同執筆となっているでしょうか?①4通、②6通、③8通、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!

“テモテへの手紙第一1章” への1件の返信

  1. 福井先生

    本日も有難うございます。

    聖書の学びは大変興味深く、
    想像力が刺激されます。
    私は物語の世界に埋没するのが大好きで、
    聖書の行間に心を惹かれ、あれこれ考えてしまいます。
    夫は、そのような私の傾向を危険視しており、
    度々警告を発してくれます。

    本日の、「果てしない作り話と系図」の戒めは大変、有益でした。
    健全な、愛を目指す信仰を目指して注意深く学び、
    想像力を正しく用いたいと思います。

    S.A.

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