テモテへの手紙第二1章

テモテへの手紙第二、1章 賜物を燃え立たせる
1.無にならない宣教の努力(1:1-12)
第一の手紙と同様に、親しい弟子テモテに対しては、いささかいかめしい書き出しです。しかし、それは、テモテに最も伝えたい自らの確信を、そこに言い含めようとしたためなのかもしれません。それは、第一の手紙では、神の救いとキリストの望みでした。第二の手紙では、それはキリストイエスにあるいのちの約束です。私たちの信仰は、まさにキリストのいのちの約束に生きることを中心とするものです。テモテに必要とされているのは、そのキリストのいのちにつながることであったのでしょう。
この時テモテは、エペソの教会で非常に苦労していたようでした。4節「あなたの涙」とありますが、テモテには何か辛いことがあったようですね。そんなテモテを思いやりながら、パウロは勧めるのです。
第一に、神の賜物を燃え立たせよ(6-7節)と。困難を乗り越えるのに必要なのは、新しい力ではない。既に与えられているものを燃え立たせることだ、と言います。実際第一の手紙でも、パウロは「あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません」(1テモテ4:14)と勧めています。テモテは、燃え尽きていたようでした。しかし、困難を乗り越えるために必要な力、天来の「力と愛と慎みとの霊」はすでに与えられていたのです(7節)。大切なのは、それらが与えられているという信仰を持って、奮い立つことでした。
第二に、自分の立ち位置を明確にすることでした。パウロはテモテに、神の御言葉を語ることや、投獄されているパウロとつながっていることを恥じるようなことがあってはならない、と言います(8節)。この時、パウロから離れていく人々も多くいたようですね(4:16)。テモテも、囚人となっているパウロとどこまで一緒にやっていけばよいのか、考えていたのでしょう。そんなテモテにパウロは、はっきりと「神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください」と呼びかけています。そして自分の立場を弁明しています。パウロが投獄されているのは、ひとえに、福音宣教のためである、と。しかしその福音は、神の計画と恵みによるもので、それは永遠の昔から与えられていた。それはキリストの十字架と復活によって、人の死を打ち滅ぼし、命を与えるものだ。その福音の宣教者として投獄されることは、名誉なことであり、恥ではない、と。そしてたとえパウロが投獄されて、もはやパウロの宣教が中断される、あるいは無に帰せられるような事態が生じたとしても、これは神の働きだから、神がその先をなんとかしてくれる。私たちの努力は無駄にはならない、と言うのです。だから、何かどんどん先細りに見えるような努力であっても、どんな結果になるだろうかなどと気にしておらず、最善を尽くすように、と言いたいわけです。
そこでパウロは重ねて言います。信仰と愛をもって、委ねられたものを守っていきなさい。つまりパウロから聞いたことを健全な教えのことばの手本として、しっかり持っていなさい、と(13節)。伝えられたことを忠実に守るように、そして、神の聖霊の力によって守るように、つまり神に信頼しなさい、というわけですね。
2.起こっている事柄に目を留める(1:16-18) 
パウロは、自分の身の回りで起こっていることについて語ります。ここに出てくるフィゲロとヘルモゲネがどんな人であったのかはよくわかりません(15節)。一説にパウロに敵対し、テモテを支持しなかった教会の指導者たちであったとされます。また、多くの信仰者が、投獄されたパウロに困惑し、パウロから離れ去れました(16節)。デマスは彼を見捨て(2テモテ4:10)、パウロの仲間は遠い宣教地へと旅立っていました。そして偽りの教理が教会には広まっていた(2テモテ2:17-18)。パウロにとっては暗澹たる思いになる、暗い時期であったと思われます。しかし、そのような中でも、投獄されていたパウロの下に駆け付けて、パウロを助けたいと心から願っていた一人の人物がいたのです。オネシポロです。彼の名前には、「利益を生む」という意味があります。彼は、エペソの教会の執事であったようです。オネシポロは、エペソからローマへと長い旅をし、大変な苦労をしてパウロを探し出し、その居場所を突き止めました。それは、神が、私たちの働きの結果を守り、助けてくださることを感じさせる、素晴らしい証だったと言えます。宣教は、人の努力によらず神の業によるものであることを覚えたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「ヘブル語で書かれた旧約聖書は、一番初め、どの言語に翻訳されたでしょうか?」答えはギリシア語でした。ギリシア語圏に離散したユダヤ人はたくさんいて、そのような人々のために、ヘブル語の聖書はまずギリシア語に翻訳、七十人訳聖書と呼ばれました。では、今日の聖書クイズを一つ。新約聖書の福音書の内、マタイ、マルコ、ルカ三つの福音書をあわせて、何と呼ぶでしょうか?答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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