ホセア書3章

3章 妻を買い戻すホセア

おはようございます。ホセアの愛の決意は、神の愛の決意を象徴するものです。そしてゴメルに起こった奇跡的な出来事は、私たちに起こる神の御業の象徴です。主に希望があります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.夫に愛されていながら姦通している

1節「干しぶどうの菓子」とありますが、それは偶像アシェラ崇拝の祭儀に使われたものです。ですから、「夫に愛されていながら姦通している」それはちょうど、神に愛されていながら偶像崇拝をしているイスラエルと同じだ、と言っているわけです。信仰がこのような夫婦の関係に例えられているところに、驚きを覚える人もいるのではないでしょうか。信仰など、神社仏閣へ行って、手を合わせて祈り、今日の運勢、あるいは今年の運勢を祈願する程度のものではないか。それがまるで夫婦のように契りを結び、日常的な営みとして愛し愛される関係、いわば情緒的なレベルでの関係を持つことであるとは、と。しかし、信仰を安っぽい、ご利益祈願してきたのは、実に、神のパーソナリティを認めない人間の頑迷さの故なのです。けれども、大事なのは、そのような頑迷で、愚かな人間を神がなおも愛し、慕っている、ということでしょう。

2節、ホセアは「銀十五シェケルと、大麦一ホメルと大麦一レテクで彼女を買い取り」とあります。これは、当時の奴隷一人の値段であったとされます。恐らく、ゴメルは、姦淫の罪を重ねる内に、苦界に身を落としてしまったのでしょう。彼女は、二束三文の女として、そこで朽ち果てる他はなかったのです。さもなければ、誰かがあわれみをもって彼女のために買い取り代金を支払って救い出すかでした。神の愛に生きるホセアは、行って彼女を買い取り、家に連れ帰って言うのです。「これから長く、私のところにとどまりなさい。もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはいけない。私も、あなたにとどまろう。」とりあえず同じ屋根の下に住まわせてあげるけど、部屋は別々、共同生活者でよいな、というものではありません。これからはずっと一緒、私もあなたを愛そう、と言うのです。

2.主とそのすばらしさにおののく

4節「王もなく、首長もなく」というのは、イスラエルが国家としての主権を失ったことを意味します。また、「いけにえも、石の柱もない」は、イスラエルが神殿を失ったことを、「エポデも、テラフィムもなく」は、イスラエルが神との関係を失ったことを意味します。つまり、ゴメルが奴隷とされたように、イスラエルも、やがて国と神殿を失い捕囚の民とさせられてしまうことを預言しているのです。しかしそのような事態から、再び神は、イスラエルを買い戻して、建て直す決意を表明しています。ホセアのゴメルに対する愛の決意は、そのまま神のイスラエルに対する愛の決意に重ねて語られているのです。

6節「主とそのすばらしさにおののく」確かに、そのような神の業を目の当たりにし、驚かざるを得ません。先に、神は「弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない」(1:7)と言いましたが、まさにこれぞ神の御業と思うことが私たちの身にも起こると信じましょう。そして、主の恵みに期待し、自らの使命に取り組むこととしましょう。

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