ルカの福音書3章

バプテスマのヨハネがユダの荒野で活動を開始したのは、「皇帝テベリオの治世の第一五年」(1節)つまりAD28-29年である。ヨハネが現れた場所には、当時エッセネ派に属する修道院があったので、ヨハネはこの団体に関係していたと考えられている。実際ヨハネの禁欲主義とバプテスマに関する教えと実践には、エッセネ派のあり方に通じるものがある。

また「ヨルダンの向こうのベタニヤ」は、ベテアバラ、今日のエル・ガラベであると考えられている。それは、メデバ出土のモザイク鋪床地図(6世紀)に記された、エリコ東方のヨルダン川西岸にある地名で、オリゲネスが、当時ベタニヤという地名が見つからなかったため、この地をベタニヤとしたためである。そこはイエスがバプテスマを受けた場所とされるマハデド・エル・ハジレの近くである。ギリシア正教徒は顕現祭に、他の巡礼者は、復活節にここで沐浴する習慣を守っている。

ヨハネは、近づく神の国への備えとして、悔い改めを促した。神の国の到来を、ローマ帝国から解放され、自国の独立を勝ち取ることと考えたユダヤ人は、悔い改めが必要なのは異邦人であると見なしていた。しかしヨハネは、ユダヤ人にこそ、悔い改めが必要と説く。そんなヨハネの勧めに従って、パリサイ人、サドカイ人の中に悔い改める者が起こされていく。そして悔い改めのしるしとしてバプテスマを授けた。バプテスマはきよめの儀式であり、汚れた異邦人の改宗者にこそふさわしい儀式とみなされていたが、ヨハネはこれをユダヤ人に授けた。それは、形式においては、当時のユダヤ人が、身体を清めることによって罪を聖めるミクヴェ(水槽)の中で行う沐浴と同じであるが、一度限りの行為という点で、レビ記11~15章に述べられたきよめの洗いとは異なっている。

ルカの記事で注目すべきことは、悔い改めとバプテスマにより、具体的に親切、寛容、正直といった日常性の変化、いわゆる悔い改めの実が求められたことであろう(3:10-14)。バプテスマのヨハネについては、マタイ、マルコ、ヨハネと全ての福音書が共通に取り上げているが、ルカだけが悔い改めたのなら、どのような生活がそれにふさわしいのか、という質問に丁寧に答えている。つまり、どのような生活にあってもそれぞれに誘惑があり、信仰的な戦いがある。悔い改めの心が生活に現されるように、そうしたものと向かいあって、主の目に正しいことをすることが信仰者の歩みである。また、ルカだけがイザヤ40:4-5まで引用している。それは、続いて使徒の働きを記し、宣教のビジョンが、旧約と連続しているものであることを示しているのであろう。確かに、聖書は旧約、新約一巻して、神の救いのご計画と真の霊的なイスラエルに託された証の務めを描いているのである。

だから、ヨハネは、マラキが語ったように(4:5)、メシヤの道を整える者として位置付けられる(3:15-20)。ヨハネは次に来る方に劣り、ヨハネのバプテスマも同じように劣っている、とする。さらに来る力ある方は、「聖霊と火のバプテスマ」を授ける、という。旧約の続きで言えば、イエスを受け入れる者は、火によってきよめられ、聖霊によって強くされるのである(マラキ3:1以下)。それは、まさにペンテコステによって強められた使徒たちの働きを思い出させるものである。

21節からは、イエスのバプテスマが記されている。イエスは、ヨハネからバプテスマを受けることが正しいこと、つまり、神のみこころにかなうことであることを示されている。「今」というのは、人目に隠れた生活から公生涯への転換点を意味する。また「正しいこと」というのは、イエスがヨハネのバプテスマに服することにより、十字架で万人の罪を負うイエスが、その公生涯の初めに罪人の立場に立つことを明確にするからである。イエスがバプテスマを受けた時に、伴った特別なしるしは、イエスが神の子であることを明らかにした。

最後にルカは、イエスの系図に触れる。イエスは、教えを始められた時に30歳であったという。これは、ユダヤで祭司職の執行が許されるのが30歳であることに倣ったものなのだろう。マタイは、ユダヤ人の王としての証拠を示す目的を持って系図はアブラハムから書き起こしていた。ルカは、アダムにまで、そして神に溯る。それはただ単に、約束のメシヤの証拠としての系図を示すのみならず、イエスが全人類と関わる者であり、神と関わる神の子であることを示すためなのだろう。私たちも皆、このイエスにあって神の子とされる。神に生まれ、神に帰る者とされる。しかしそればかりではない、神の子として、私たちはイエスとその使命を共有する者である。神は、ルカに使徒の働きという続編を書く、宣教的な意欲を与えてこの書を書かせたことを心に留めて読み進んでいこう。

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