レビ記27章

27章 主へのささげ物 
 レビ記をようやく読み終わりました。今日の箇所には、神に対する誓いや自発的なささげ物について語っているのですが、それらがもし難しくなった場合に、どうしたらよいのか、その考え方が述べられています。
1.請願のささげ物(27:1-25)
まず神に、しもべとして聖所に仕える、いわば主に身を献げる、と誓ったものの、やはりそれが難しいとなった場合、その人は「銀」の支払に替えることができました。その金額は、身分や階級によらず、年齢と性別に基づくものです。つまり20歳から60歳の男性は50シェケルと最も高くつき、60歳を超えると男性は15シェケル、女性は10シェケルと値が下がるのです。また、幼い男子は5シェケル、女子は3シェケルとされました。またその人が貧しく、50シェケルに評価されても、それを支払う能力がない場合には、評価額を調整してもらうことができました。大切なのは、評価額がいくらであるにせよ、神に対して自発的に誓いを立てたなら、それは実行されなくてはならない、ということです。思い付きの行為や非現実的な誓いは戒められなくてはならなかったわけです。
そのような理解で、イエスがユダに裏切られた際に、銀30シェケルで値積もりされた事を考えると、それは、単にイエスの価値を低く見た、つまり女性の値段で評価した、というのみならず、イエスを十字架上で葬りさることで、イエスが神への誓いを守りきれなかったことを思い知らせようとしたユダヤの宗教家の悪意があったと思わされるところです。しかし、イエスは、十字架の死をもって、神との誓いを果たしたというべきです。
また16節、財産つまり家屋と土地を神に献げると言ったものの、これを取り消したい場合には、その評価額と同等のものにプラス五分の一の評価額を加えて献げるとされます。これも献げると誓った以上、思い直して別のものを献げたり、知らぬふりをしたりすることがあってはならない、ということです。伝道者の書には「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。愚かな者は喜ばれない。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは誓わないほうがよい」(5:4、5)とも語られています。
何よりも覚えるべきは、神は人格的なお方であることです。私たちは、石や木で出来た物言わぬ偶像に祈りを献げ、誓いを立てるわけではないのです。たとえ目には見えないとしても、神を敬い、神の心を大事にするなら、その報いは豊であると心得るべきでしょう。
2.ささげられない物(27:25-29)
 なお、代償が許されないものもありました。家畜の初子(26節)と聖絶のもの(28節)です。これらは初めから主のものだ、とされています。
3.十分の一の買い戻し(27:30-34)
30節以降は、十分の一についての定めであり十分の一献金の根拠とされる箇所です。収入の十分の一は、主の聖なるもの、ささげられるべきものであると言います。こうした教えは、私たちの信仰を試すもの、つまり私たちが、モノではない神により頼んで生きているかどうかを試すものです。さらに、実際的なことを言えば、これらのささげ物は、土地のない人、つまり収入の手段のない祭司やレビ人などの働きや生活を支えたり、祭儀の執り行われる神殿を維持したりするために使われました。やはり、教会の交わりは楽しい、教会で助けられていると思うのはよいのですが、そのような教会の働きを成り立たせている牧師の働きを覚え、その働き以外に収入の手段のない牧師をしっかり支えていく愛の心を持つことは、大切なことでしょう。
以上、神の民として教えられ、理解し、実行しなくてはならないことが多くあります。それらは、義務のように思われるところもあるかもしれませんが、基本的に神の民として生きることは、実在の神の心に応答して生きる歩みです。罪の滅びの中から救い出してくださった神の愛に応えて生きる、これが聖書に教えられた律法を守る基本なのです。では今日もよき一日であるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「高き所」は、単純に小高い丘や峰を指し、やがて偶像崇拝の場所とみなされるようになった場所ですが、これを積極的に国から取り除こうとした最初の王様は誰でしょうか?答えは、ヒゼキヤでした(2列王18:1-4)。イスラエルの歴史の中で、「高き所」は祭壇として利用されており、ソロモンもこれを用いています。しかし次第にそこは偶像礼拝の場とみなされるようになり、ヒゼキヤの宗教改革の流れで壊されるようになりました。では今日の聖書クイズを一つ。次の中で、ローマの銀貨の単位とされたのはどれでしょうか?①コドラント、②アサリオン、③デナリ、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!
答えはデナリ、アサリオンは銅貨の単位、デナリ銀貨の16分の1の価値、またコドラントは、ローマの最小の貨幣、アサリオン銅貨の4分の1。

“レビ記27章” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です