創世記32章

伯父ラバンのもとで20年の歳月が流れた(31:41)。ヤコブは伯父ラバンの息子たちに、妬まれるようになったばかりか、ラバンの態度も明らかに変化した。ヤコブは、神にカナンへ戻るように、と語られる(31:3)。聖書は、ヤコブが「自分の持ち物を全部持って逃げた」(31:21)と語るが、故郷で彼が受け入れられる保障も何もなかった。かつて怒り狂ってヤコブを殺そうとしたエサウのもとに帰ることも難しい選択だったのである。この時エサウは、イサクと共にまだヘブロンに住んでいたようである(36:6,7)。だから故郷に戻るには、エサウと和解することが必須であった。そこに兄のエサウが四百人のしもべを引き連れて迎えにやってきた。武力を率いて無言で近づいてくるエサウほど不気味に思われたものはなかったであろう。ヤコブは兄の仕返しを思い恐れた。かつてヤコブがしたことを思えば、それはしごく当然なことである。
さてマハナイムは、ヤボクの北に位置し、現在のキルベト・マハネーであろうとされる。そこでヤコブは神の使いたちに出会う。かつてカナンから旅立ち、孤独な逃避行を始めた時のこと、ヤコブは不安と恐れの中で、はしごを上り下りしている御使いたちに慰められた。そのベテルの体験を彷彿とさせる出来事である。ただ、ヤコブの恐れは、取り除かれなかった。ヤコブは、近づいてくるエサウに戦略的に対応しようとした。彼は計画を立て(7-8節)祈り(9-12節)、また思いついては計画を変更し(13-21節)祈った(22-32節)。そしてさらにエサウを目撃するや否や計画を変更している(33:1-3)。戦略は、神に信頼することと対立するものではなく、祈りと共にある。ヤコブは主に与えられた頭脳を疎かにはしなかったのである。またヤコブの祈りに教えられる。まず彼は、自分が神の恵みを受けるのに足りない者であることを素直に告白している(10節)。神に何も要求できない、罪人であることを認めている。しかし同時に、ベテルの経験に訴え、神の契約を掲げて、自分の恐れに満たされた心をありのままに語り、神の守りと祝福を求めている。彼の祈りは契約に基づく祈りなのである。
ヤコブは、550頭の贈り物を用意した。それはなんとしてもエサウの好意を得ようとするヤコブの計画であった。群れを二つに分け、一つの宿営が仮に打たれても、もう一つの宿営は逃れられるように、と考えたのである。しかし、神はその計画よりも、ご自身の業により頼ませる道を選ばせた。
その日の夜、ヤコブは、皆にヤボクの川を渡らせると、独り川の北岸に残ったのである。そして「ある人」が夜明けまで格闘した。「ある人」は神であるとされる(28,30)。格闘は、ヤコブのもものつがいがはずされ、足が不自由になったとあるように体と体をぶつけ合う、肉体的な戦いであった。しかし、それ以上に、ヤコブの神を慕う心と不信、依存と反抗の相克を物語る霊的な戦いでもあったが、夢ではなかったのである。神はヤコブと勝てない状況に置かれている。不思議な表現である。しかしそれは、神がヤコブよりも弱かった、というよりも、弱いヤコブの執拗さに勝てなかったことを意味している。ホセアが言うように、「ヤコブは勝ったが、泣いて願った」(12:4)のである。ヤコブは自分の弱さを認め、人間的な立ち回りや器用さが、全く通用しない窮地にあって、神の祝福なくして、これ以上は一方も先には進めないと、とことん神によりすがったのである。自分の弱さをとことん知った彼は、ただ神の祝福に頼らざるを得なかったのである。「あなたは神と戦い、人と戦って、勝った!」と勝利を譲ってくださる、慈しみと恵みに満ちた神を求める以外になかったのである。
この経験を通してヤコブは、完全に神がなさることに自分を任せることを学んだ。だからヤコブは自分の策を捨て去り、群れの後ろからではなく(21節)、群れの先頭に立って進む道を選んだ(33:8節)。そして、ヤコブはこの戦いで「イスラエル」という新しい名を与えられていく。それは「神と争う者」という意味であり、後に契約の民の名となった。また、神との格闘の故に得た祝福の素晴らしい経験を記念し、その場所を「ペヌエル」と名づけた(31節)。太陽が昇った。まさに新しい出発を照らす、希望の光であったことだろう。
窮地は機会である。それは神が真に祝福の神であることを知る、重要な時である。真に神にすべてをゆだね、神が動いてくださることを知る時である。私たちの予測する結果がすべてではなく、神の出される結果があることを知る時である。神に生きるその計り知れない可能性と祝福を覚えて、今日の一日も歩ませていただこう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です