士師記13章 わたしの名は不思議という

士師記13章 サムソンの誕生

1.大力無双サムソンの誕生

聖書は、神がイスラエルの背信の故にペリシテの力を強くし、彼らの手に40年間渡されたと語ります。ペリシテ人は、BC15-13世紀に、エーゲ海よりパレスチナ海岸やエジプトに侵入した民族で、それ以来、彼らの名によってこの地域はパレスチナと呼ばれるようになりました。またガザ、アシュドデ、アシュケロン、ガテ、エクロンに五大都市を築き、士師時代の後期からサウルの時代に至るまで、イスラエルの最大の強敵となった民族です。

しかし神は、イスラエルがいつまでも苦しめられるままに放っておくことはありませんでした。神は、大力無双の士師サムソンを起こされるのです。

2.ナジル人サムソン

13章は、サムソン誕生のエピソードです。一人の不妊の女がみごもり、ナジル人として育てられていったとあります。

ナジル人は、「主のものとして聖別された者(民数6:2)」を意味しますが、そのように育てられるためには三つの禁令を守らなくてはなりませんでした。酒を飲まない、汚れた物を食べない、頭にかみそりを当てない、です。その他、死体に近づいてはならないという禁令もあります。これらの節制は両親にも求められました。なお、ナジル人には、一時的なものと終身のものの区別があり、サムソンは終身のナジル人であったとされます。

ただここで興味深いのは、妻に聞かされたことを自分の目でかめたいと願った、マノアの祈りに、神がお付き合いしてくださったことでしょう。ギデオンの時もそうですが、神は、納得したいマノアととことん語られるのです。

3.不思議な神

さて、神は、マノアの質問に答えて、自分の名は「不思議」だと答えられました。確かに、神の存在は不思議なお方です。私たちの思いを超えたお方、私たちの思いを超えたお働きをなさるお方です。神はなぜ、ぺリシテの圧力に苦しんでいるイスラエルを見ながら、今回はギデオンのような即戦力を起こされなかったのか。なぜ赤子のサムソンを誕生させ、サムソンが成人するまで解決を先延ばしにする悠長なことをなさるのか。なぜサムソンにナジル人の禁令ではなく英才教育を施さなかったのか。そしてなぜ、神の期待どおりには育たなかった罰印だらけの性質に満ちたサムソンを選ばれたのか。理解できないことばかりでしょう。しかしそうであればこそ、私たちには希望があるのです。人の思いを超えた形で物事を進められる神が、よきことを約束されるのです。

マノアは、その神に信仰をもって、全焼のささげ物を献げたとあります。全焼のささげ物は、献身を表明するためのものですから、マノアは、神の命令に対する従順を示したことになるのでしょう。ただマノアは、神と対面したことへの恐れを収めることができませんでした。確かに、人が生きとし生けるものすべてをお造りになった万物の支配者神の前に立たされることは、実に恐ろしいものです。ところがマノアの妻は、より柔軟に物事を見ていました。妻は言うのです。もし神が私たちを殺そうと思われたのなら、主が全焼のささげ物を受け取ることはないでしょう、と。なるほど、キリスト者は毎週礼拝に出て、献金を献げています。礼拝に出るというのは、実は神の前に立つことであり、恐れ多いこと。しかし、神が私たちのささげ物を受け入れているとしたら、実に、その行為をもって、私たちは、もはや自分が、神に殺されたり、呪われたりするような者ではなく、神の恵みと愛に満たされる者であることを確信してよいのです。まさに献金は、私たちから神に献げられるものでありながら、神の守りと祝福の確信させる行為でもあるのです。そして礼拝は、目的を持った人生へと私たちを押し出すものなのです。では今日もよき一日であるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。ヨルダン川東側のギルアデの地を二つに分けている川の名前は何でしょうか?答えは、ヤボク川です。ヤボク川の南側は、ギルアデの山地の半分と呼ばれ(申命3:12)、ガド族とルベン族の領地となり、ヤボク川の北側は、ギルアデの残り(申命3:13)または半分と呼ばれ(ヨシュア13:31)と呼ばれ、マナセの領地となりました。では、今日の聖書クイズを一つ、ナジル人についての定めは、聖書のどこに書かれているでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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<天草さんのフォローアップ>

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私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです。

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