申命記29章

申命記29章 モーセの第四の説教
皆さんおはようございます。モーセの第四の説教、最後の説教に入っていきます。それは、モアブの野で、新しい世代の民に語られたものでした。古い世代と交わされた契約は有効であって、今度は新しい民とその契約を更新されようとするのです。そのような意味では、私たちもこの契約の当事者となるべき者でしょう。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.恵みの更新(29章)
1)歴史的回顧(2-9)
1節「これは」は、4-28章までのことを言っている。これはホレブで結ばれた契約のことばとは別で、ここモアブで新しく更新された契約である。その効力を確かめるかのように、29章の前半、1-9節は、過去の歴史を振り返っている。主がイスラエルをエジプトから助け出し、勝利させてくださった。その事実に基づいて、新たに契約を更新することを勧めている。
2)契約の更新(10-15) 
契約の直接的な対象は、おそらく、集められた民の中でも、50歳代以上のもの、エジプトの大きな御業を目撃し、40年間の荒野の生活を経験した者たちであった。神の御業を経験してきた者たちに対して、神は契約を交わそうとする。しかし同時に、この契約は、今そこでこの契約を耳にしている者、さらには、今そこにいない者に対しても結ばれる(14、15節)普遍的な契約である。神は契約を守らないならば、燃える怒りを注がれる。ただし、その逆は必ずしも真ではない。つまり、神の燃える怒りを受けた者が、神との契約を守らない者、神に背いた者、罪を犯している者と言い切ることはできない。
実際、かつてヨブが、家を失い、家族を失い、健康を損ね、灰の中で土器の欠片で自分の身をかくほどに卑しめられた時、ヨブの友人たちは、ヨブが神の激しい燃える怒りを受けていること、つまり隠された罪の故に苦しめられていると断罪した。しかし、朝早く、自分の子どもが犯したかもしれない、罪を覚えていけにえをささげるほどの正しさに生きたヨブにとって、それはなかなか承伏できることではなかった。彼の惨状は、明らかに、神の激しい燃える怒りを受けているように見えるものであったが、最終的には、そうではなく、神の深いみこころによるものであって、悪魔の激しい試練にさらされたものであることが証されたのである。
3)不従順に対する警告(16-28節)
神が激しい怒りを燃やされている、なぜこのような災いが次から次へと下るのか。承伏できない屈辱にさらされることもあるだろう。そのような時に、私たちがなすべきことは、もしそこで罪を示されるのであれば、まずその罪を告白し、主の赦しを願うことだ。神はその罪を赦し、私たちを回復させてくださる(1ヨハネ1:9)。神は人と違って、いつまでも過去の失敗を持ち出して、後ろ指を指すような方ではない。神は正しい方であり、愛の方であり、思い直される方である。神は私たちの罪を海の深みに投げ込み、もはや決してこれを思い出されることはない。私たちは、西と東が遠く離れているように、罪とその結果から切り離される。そこに希望がある。
一方、ヨブのように、自分の内に神に対するうしろめたさがないのであれば、それは、神のみこころのはかり知り難さを思いつつ、神の守りがあることを思い、堪え忍ぶべきなのだろう。神が、私たちに最善をなし、ヨブにそうしてくださったように、すべての損失を償ってくださることを信じていく必要がある。いずれ逆境は過ぎるのだから、神の時を、忍耐をもって待ち続けることだ。大切なのは、聖書を読むだけでは十分ではない。これは神の契約のことばである。契約のことばとして、果たすべき分を読み取り、行うことだ。またそれは、注意深く読み取らなくてはいけない。聖書は神の真理をすべて伝えているわけではない。必要なことのみが明らかにされている。隠されていることもある。神の祝福をこそ受ける聖書の読み方、従い方をさせていただくことだ。

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