ダニエル書4章

4章 ネブカドネツァルへのさばき

おはようございます。ダニエル書は、なぜ記録されたのか。遠い昔のエピソードを読みながら、やはり現代に起こっている事柄に対して、信仰的な見通し、確信を持つことが大切です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.まことの神の永遠の主権

先の出来事の後、ネブカドネツァルは壮大な建築プロジェクトを完成し、王家の繁栄を極めていました(4節)。そして王は、奇妙な夢を見るようになり、心を悩ますようになります。その夢は、天にも達する勢いを持った木が切り倒され、残された切り株に鉄と青銅の鎖がかけられ、天の露にさらされるものです。バビロンの呪法師、呪文師たちがこの夢を解き明かせなかったので、再びダニエルが呼び出されました。そして再び、神がダニエルにその秘密を明らかにするのです。それは、ネブカドネツァルの高慢を戒め、悔い改めを促すものでした(26節)。しかしネブカドネツァルに聞く耳はありません(30節)。結局神の支配とそのめぐみを否定し、自分の力を誇ったネブカドネツァルは、夢で見た通りの裁きを受けていくのです。王は、1年後、ダニエルが語ったように奇妙な病に冒され野獣のような時を過ごします(23節)。その期間が終わり、夢を与えられた天地創造の神を認めた時に、理性が回復し、神を賛美するに至りました(34節)。

バビロンの祭司ベロッソスは、ネブカドネツァルが、治世の晩年に突然病気になったと伝えています。しかし急激に発病し、人間扱いできない状況に置かれ、急激に回復するこの病は、一体何だったのか、と考えさせられるところです。不可解ではありますが、大切なことは、これが神のなさったことであるということです。神が、ネブカデネザルの高慢を思い知らせ、いかに全世界に主権を及ぼそうと、この世のまことの主権者は、天地創造のまことの神ただお一人であることを、御示しになるための病であったということです。ですから、ネブカドネツァルが神の主権を認めて、神の前に遜った時に、神はこれを回復させられました。

2.理性が戻る

示唆的なのは、人間が、ネブカドネツァルのように自分の力を誇る時に、具体的な病にかからずとも、人間社会から追い出すべき野獣のような生き方をしてしまうことでしょう。社会の中で、様々な組織の長を見ながら、誠実で信頼に足る人もいると思う一方、どうしてこのような不誠実で、乱暴な言動や考え持った人がトップに立ち続けられるのか、と不思議に思うようなことはあるものでしょう。そのために実害を被ることもあるでしょう。しかし信ずべきは、まことの神の主権です。まことに神がおられるならば、そのような権力者の座もいつまでも続かないのです。人間が造られた被造物であり、土の器に過ぎないことを忘れるならば、神にその人を地獄に引きずり下ろすことは容易いことです。

ネブカドネツァルに起こった出来事が、このように記録されたのは、その後の信徒に、社会の見通しを得させ、励ましを与えるためでしょう。高慢な者の繁栄とその暴虐に驚いて、弱り果ててはなりません。彼らは滑りやすい所に置かれ、一挙に突き落とされるような者に過ぎないのです(詩篇73:18)。神を信頼し、誠実さの中に生きることです。

“ダニエル書4章” への1件の返信

  1. 福井牧師様、

    ダニエル書が始まって、エキサイティングの毎日です。
    特にダニエル書は精読したいと思っていました。
    私にとってはとても難解な比喩の意味、歴史背景などがわかり、
    主人共々毎朝の聖書輪読が楽しみとなりましてた。
    感謝です。

    幸 ランメル カナダ、バンクーバー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です