ヨシュア記16章

ヨシュア記16章 ヨセフ族の相続地
<要約>
おはようございます。ユダ族に次いで、ヨセフ族の相続地の境界線が示されて行きます。単なる地理的境界の記述です。ここから何を読み取るのか。頭の中で聖書地理を整理し、理解していくこともよいのですが、そもそも、マナセとエフライムに対する祈りを覚え、彼らに与えられた祝福の性質について、思いをはせることが重要でしょう。目に見えない、形にならない祝福について、私たちはもっと理解を深める必要があります。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ヨセフ族の境界線
 ヤコブは、天に召される前に、ヨセフの子、マナセとエフライムを祝福している。マナセとエフライムを祝福することはヨセフを祝福することと同義であるとされているが、そこでヨセフは手を交差させ、弟のエフライムがより強くなる、と祝福した。ヤコブの祈りをみるならば、ヤコブがヨセフのために、つまりマナセとエフライムのために祈ったのは、単純な祝福である。豊かさである(創世記48:16)。また、ヤコブが12部族それぞれのために祈った時に、その祈りの中で祈られたことも、「その祝福は上よりの祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福」(創世記49:25)と語られるように、ひたすら「祝福」の一字となっている。
2.祝福の意味
 「祝福」とはよく口にすることばではあるが、一体何を意味するのか。また、エフライムはマナセよりも、大いなる者となる。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろうと語られるが、実際、この16章を読むと、エフライムが受けた相続地の大きさは、17章に描かれるマナセの相続地よりは小さい。マナセの領土は、ヨルダン川の東と西に分かれ、エフライムの7,8倍の大きさとなっている。祝福を単純に、この世での利益と考えれば、ヤコブの祈りは聞かれていない、ことになる。しかし、モーセはシナイの荒野で20歳以上の軍務につくことのできる男子を数え上げているが、そこでは、エフライム族はマナセ族よりも多くの勇士に恵まれていた(民数記1:33、35)。ただ第二回目の人口調査の時には、これが逆転しているものの、あくまでも一時的な現象で、旧約の歴史全体の流れの中では、エフライム族が人数的には勝っていたようである。相続地は小さいが、人には恵まれていた。しかし、それ以上に、やはりこの祝福は、霊的な遺産を相続する意味なのだろう。ヨシュアは、エフライム部族出身であったし、後に出てくるサムエルもそうである。つまり、信仰の精神を代々引き継がせていく要の部族というわけだ。
 そういう意味で、「祝福」は、何よりも土地や物ではなく、信仰の精神を受け継がせる重要な役割を担うことであって、それは、ヤコブが、イサクから受け継いだ長子の権利と祝福の祈りに通じる。ヤコブは、決して、エサウ以上に土地に恵まれたわけではない。しかし、全能の神と共に歩み、全能の神の祝福を祈る特権に与った。
3.祝福の根拠 
こうして考えてみると、私たちの祝福は、先の人々の祝福の結果である。私たちが祝福されるのは、私たちの業によるものではない。むしろ、私たちのために祈られた祝福に基づいて、神は私たちを祝福される。ヤコブの祝福はイサクの祈りによるものであり、イサクの祝福はアブラハムの祈りによる。またヨセフの祝福は、ヤコブの祈りによる。そして、私たちの祝福は、十字架上のイエスの祈りによる。となれば、私たちが子のために祈ることがいかに大切なことは言うまでもない。祝福は恵みによって受け継がれるものなのだから。また、イエスの故に、私たちは、神との関係において、決して断たれることのない祝福の中に入れられており、その祝福は、決して、地上の土地や物ではない。人々に、信仰の遺産があることを明確に示し、神との交わりの恵みを受け継がせていく祝福である。神があなたとともにいる。神があなたを救いだされる。神があなたを助けられる、と神を示すことができる祝福は何にも変えがたいものであろう。物を与える祝福はいずれ尽きてしまう。しかし、神の存在と恵みを分かち与える祝福は、決して尽きることがない豊かな祝福である。

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