ルツ記3章

3章 ナオミ、ルツ、ボアズそれぞれの決断
<要約>
おはようございます。私たちが物事を進める場合、誠意が大事であることでしょう。思いはあっても、誠実さにかけた進め方は、百害あって一利なしです。そして、さらに大切なのは、神様が物事をどのように決着されるのか事の終わりを見守ることです。主が全てを良きにしてくださるからです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ナオミのルツに対する配慮
ルツがボアズの好意に与ったことを知ったナオミは、レビラート婚の権利に訴えて、ルツの将来を保証しようとする。レビラート婚は、結婚した男性が子どものいないまま死んだ場合のユダヤにおける取り決めで、死んだ男性の兄弟が寡婦を自分の妻としてめとるものである。ユダヤでは、このレビラート婚が寡婦の権利として法律的に認められていた。ただし、本来は、遠縁の親戚ボアズとナオミが適用対象になるのであるが、ナオミはこれを自分ではなく嫁のルツに適用しようとした。それはルツの今後を案じてのことなのだろう。「身の落ち着き所を私が探して」(1節)というのは、生活の面で落ち着く場所を探す、ことである。やもめの生活は不安定であり、保護のないやもめの運命は極めて厳しいものがあった。同じやもめで年老いたナオミは、ルツにより善い生活を望んだのである。
2.ナオミの助言とルツの従順
さてナオミは、ルツに具体的な指示を与えた。からだを洗い、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行くこと、ボアズが寝る時に、その足のところをまくって寝ることである。なぜこのような指示をしたのかわからない。ナオミは、ルツが受け入れられやすいように際どい求婚を命じたのだと考える者もいる。ただ、男性が自分の覆い、つまり衣のすそを広げて、女性を覆うことは、妻として了承することを意味した。古代のアラブではもちろん、今なおそういう習慣が残されているところもあるという。
ボアズはナオミに「あなたの今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています」(10節)と語りかけている。「先の誠実さ」は、ルツが夫の死後、故国を離れて異国の地まで姑のナオミに着いて来てナオミの生活を支え仕えたことを指している。「今回の誠実さ」は、彼女が貧しい者でも、富む者でも、若い男たちの後を追うのでもなく、自分の夫マフロンの名を相続地に残すために、かなり年上のボアズを夫として選んだことを指している。ボアズは家族を守ろうとするその誠実さを評価したのである。
3.神の導き、人の誠意、そして思い
ナオミにとっての懸念は、ルツの結婚だけではなかった。土地の買い戻しのこともあった。ナオミには働き手がなかったので土地を維持できなかったし、まとまったお金も必要だったのだろう。ユダヤには、人が貧しくなって所有地を売る場合、その親類がこれを買い戻すことができる買い戻しの権利があった(レビ25:25)。ナオミの願いは、ボアズがルツと結婚し、さらに土地を買い戻してくれることであった。そうすれば、ルツは夫を得て幸せになり、同時に生まれてくる子にエリメレクの名と土地を継がせることができる。ただ、ボアズはルツにとっても意中の人ではあったが、ボアズよりももっと近い権利を持つ親類がいた。買取の権利のある人との交渉は、4章に展開されるのであるが、ボアズは、筋を通そうとした。
ルツ記は、同時代の士師記の記録に比べると、人間の常識的な判断や考え方が大切にされながら物事が進んでいく。ある意味で誠実な物事の進め方が、読み取れる物語である。しかし、人間の誠意だけで物事がすべて動いていくわけではない。物事が誠実になされると同時に大切なのは、神が私たちの働きをどのように導いてくださるか、ということである。ナオミはルツに言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい」(18節)。物事はなるようにしかならない、という考えもあるが、物事はすべて神の導きによって決まって行く。だから、今手がけていること、懸案中のことがあれば、それがどうおさまるかわかるまで待つ、神がどのように働いてくださるかを見届ける気持ちを持つことが大切だ。今日も、あれやこれや、一つ一つの事柄に、神の業を見させていただくことに、心を向けていこう。

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