使徒の働き2章

使徒の働き2章 ペンテコステ 1.約束の聖霊降臨(2:1−13)  ユダヤ人の三大巡礼祭りに、過越の祭、七週の祭、仮庵の祭があります。過越の祭は、イスラエルの民がモーセに率いられて、エジプトを脱出した記念として行われました。その祭りの翌日から七週目、つまり五十日目にお祝いされたのが「七週の祭り」です(レビ記23:15)。一般にキリスト教会では、ペンテコステと呼んでいますが、それは、ペンテーコンタ・ヘーメラスというギリシア語の読み方によるものです。この日、イエスが約束された通りに、聖霊が下りました。そしてユダヤ教の一派と見なされていたキリスト教は、独自の歩みを始めるようになります。こうしてユダヤ人が収穫感謝祭、またエジプトから脱出した50日目シナイ山で律法を受けた記念日としてお祝いしたこの日を、キリスト者は、イエスが約束した聖霊の降臨日、また教会誕生の祝祭として祝うようになるわけです。  さて、この日、彼らは一つ所に一つになって集まっていました。既に福音書で理解されたように、ペテロを初め、イエスの弟子たちを取り巻く環境は厳しい状況でした。今日の香港やミヤンマーではありませんが、覆し難い国家権力が、彼らを監視し、彼らの言動を抑止しようとしていたのです。彼らは、キリストを愛しつつも、現実的には恐れを抱いていたのです。そんな彼らに、目に見えないご自身の臨在とそのみこころをはっきりと示された、それがペンテコステであったと言えます。実際「風」はユダヤ人にとって神の命の象徴です(ヨハネ3:8、エゼキエル37:1-10)。また、「炎」は神の栄光の象徴です。風が起こり、炎が留まる、実に、神ご自身が彼らと共にあることを確証するものだったと言えます。
2.聖霊降臨の意味(2:14-47)
聖霊を受けた彼らは「他国のことば」を話しました。しばしば、これを異言と呼ぶ人もいます。しかしここでは、人には理解できない天来の神秘に満ちたことばではなく、その場にいた外国人の心にストレートに伝わる、それぞれの地方語(外国語)でした。それは、イエスの十字架のメッセージをユダヤ人以外に告げ知らせるための神の奇蹟的な業でした。聖霊の最も大きな働きは、キリストの業を証しすることです。そして、教会の宣教は、初めから多文化、他民族、多国籍指向のものでした。確かにイエスが建て上げようとしていた神の国は、ユダヤ人の王国ではなく、全人類を招き入れるものです。ですから、14節から語られるペテロの説教は、イエスの受肉(22b節)生涯(22c節)、十字架(23節)、復活(24節)、昇天(33節)、統御(36節)という基本的なキリスト教の内容を語るものであり、これらイエスによってもたらされた祝福が全人類のものであることを証するのです(39節)。コロナ禍によって教会に起った変化の一つは、教会のつながりです。それまで「オンライン礼拝なんて」と嫌煙されていたものが、否応なしにオンライン礼拝を導入せざるを得なくなりました。そして教会は、世界の様々な地域にいる人々とオンラインでつながり、礼拝をし、祈り合うことすらするようになりました。それは、教会本来の多文化、他民族、多国籍指向の本質が現実のものとなり始めていることを意味します。しかし本当は、これまでも地域的にそうあらねばならなかったのではないでしょうか。日本の国際化は地域的に広がりながらも、相も変わらず日本人だけで構成されている教会がほとんどのように思います。教会のつながりが変わろうとしている時代、地域教会がオンラインによらず、その本来のあるべき姿に整えられていくことが求められていることでしょう。聖霊降臨日はまさに、イエスの十字架と復活の恵みが、全人類のものであることを確認する日です。イエスの十字架の愛は万人のためのものです。

最後に、今日の聖書クイズを一つ、ペンテコステのお祭りは、もともとは、なんと呼ばれた祭りでしょうか?①ハサルタ(集合)の日、②ヨム・キップル(大赦)の日、③レガリム(祝祭)の日、昨日のクイズの答えは、①400万人です。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

“使徒の働き2章” への1件の返信

  1. 福井先生

    本日も有難うございます。

    オンラインの交わりは功罪ありますが、利点が勝るように思います。
    地域や文化の壁だけではなく、世代の壁、身体の不都合の壁を超えていく手段でもあります。
    外出しにくい高齢の方々、健康上の理由がある方々のために本当に役に立っていると思います。

    S.A.

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