申命記14章 すべての手の業を祝してくださる

申命記14章 異教の習慣に倣うな

 本章は、12章の異教の祭壇を打ち壊し、ただイスラエルの神、主のみを喜びとせよ、という教えに始まる続きです。昨日の13章では、イスラエルの神からあなたを引き離そうと誘惑するものは何でも警戒せよ、と教え、今日の14章では、近隣の者の宗教的誘惑について、さらに具体的な例が加えられ説明されている箇所です。

1.異教的な服喪に誘い込まれるな(14:1-2)

まず、約束の地カナンに住む先住民、つまり近隣の者となった人々が行っている宗教的慣習に誘い込まれてはならない、とします(1、2節)。彼らには「死人のために自分の身を傷つけたり、また額をそり上げたりする」風習がありました。神の民は違うのだ、というわけです。

2.異教的な食事に誘い込まれるな(14:3-21)

続いて、彼らの、忌み嫌うべき物を食べてはならないとします(3-21節)。しかしこれも単なる食習慣の問題ではありません。宗教的な宴に誘い込まれることへの警告です。レビ11章にも、獣類、魚類、鳥類について、食べてはならないものがリストアップされています。それらは、衛生的な問題もさることながら、宗教的な問題、つまり、偶像に献げられる特別なものでもあったのです。ですから、子やぎをその母の乳で煮ることもカナンの先住民が多産の女神アシェラに対して行う宗教的な行為であり、異教徒と間違えられるようなことはしない、ということでもあったのです。

そのような意味で言えば、日本人の場合、食事と言うことに関して言えば、聖書信仰とかち合うものというのは、あまりないような気がします。お酒を飲まない、コーヒーを飲まないという人もいますが、それは、嗜好性の問題でしょう。「子ヤギをその母の乳で煮る」など何か宗教的な特別な意味付けをした料理を食べたり、そのような宗教的な宴に出るということはないでしょう。ただ、宗教観が極端というものはあるかもしれません。一般に多くの人は、宗教は葬式や年末年始のご挨拶に関わること、つまり形式だけのこと、というイメージを持っているかもしれません。神社仏閣に行って手を合わせて祈る、儀礼的なことをすると言う程度に。他方、宗教は、いささか新興宗教的な勢いをもって、別の熱心さを持つべきもの、と振り子が振れてしまう感覚を持っている人もあるのではないでしょうか?しかし、宗教というのは、もっと普通の普段の生き方に関わるもの。愛や誠実さ、信念、といった人間のあたりまえの生き方に関わるもののように思います。ともあれ、神の民は、意味不明の儀式を伴う原始的な宗教とは区別される信仰の歩みを勧められたのです。

3.十分の一と分かち合い(神の共同体への責任)

22節からは、十分の一を毎年神に献げるべきことが教えられています。神あっての自分であることを忘れないようにするための工夫です(23節)。ただこれは、極めて現実的なことを語っています。エジプトの奴隷から解放されて、荒野の40年を過ごし、烏合の衆であった彼らが、一つの国家共同体になると、そこには当然、国家予算の必要性が生じたのです。彼らが教えられたことは、わかりやすく言えば皆で、新しい国のために税率10%の負担をもって財源を作り、皆で支えあいましょうということでした。そしてたとえめったに来れないような地域にいる人も例外ではありませんよ、イスラエルの新しい国に関わる人は全員です、と言うわけです(24節)。しかも献げるのみならず、分け与えるべきことも語られています(28、29節)。貧しい者、また、神殿の働きに専心するレビ人の生活、配慮すべき心を持ちなさいと言うわけです。

そのような意味で、この箇所を今日的に適用しようとするなら、それは、神の民の共同体、つまり教会を建て上げようとするなら、その必要は皆でしっかり負いあいましょう、支えましょう、ということでしょう。教会の存続と維持は、教会に集う一人一人の肩にかかっているのです。また、一般に教会は、慈善団体のように社会の要援護者に対する配慮を熱心に行う組織でもあるのですが、ここで注目すべきは、教会の働きのために労する人々、いわば牧師伝道師への配慮をも忘れてはならないことです。皆で心を合わせて財源を確保し、配慮すべきところにしっかり配慮する、そして分け与える、このようなよき良識をもった教会の働きを進めてまいりたいものです。では今日もよき一日であるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。申命記は、モーセの五つの説教からなるものですが、第二の説教の始まりはどこからでしょうか?答えは、4:44からです。第一説教(1:6-4:43)第二説教(4:44-26:19)、第三説教(27:1-28:68)、第四説教(29:1-30:20)、そして告別説教(31:1-33:29)と、五つの説教からなっています。では今日の聖書クイズを一つ、14章やレビ記11章に書かれた食事制限規定は、現代ではユダヤ人の間で何と呼ばれているでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<天草さんのフォローアップ>

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